【母として・異国で生きる県系人】芳子・ウォーカーさん 旧具志川市出身


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芳子・ウォーカーさん(前列中央)の家族

8人子育て「楽しく生きる」
 米アリゾナ州ツーソンの芳子・ウォーカーさん(74)=旧具志川市出身=は、旧コザ市で洋裁店をし、衣服の修繕のため出入りしていたアメリカ兵の一人と結婚し渡米した。夫は退役し医者になるために大学に進学。子ども2人に恵まれた芳子さんは一家の大黒柱として地元の大企業に就職し、夫を助けて仕事や家事、育児に明け暮れた。

 そのうちに夫に愛人ができて離婚。シングルマザーとして奮闘する。その後引っ越した先の隣に住んでいた男性と2度目の結婚をし、2児をもうけるが仕事をしない夫だったため、7年目で離婚。子どもを4人抱えた。その後、3度目の結婚をするが、相手には子どもが4人いた。
 一度に8人の母親になった芳子さんは相変わらずフルタイムの仕事、家事、子育てにまい進した。夫婦仲は良かったが、芳子さんの長男と夫の相性が悪くそれが原因で離婚。「最初の離婚の時は自殺を考えるほど泣いた。子どもたちの泣く姿を見て自分を奮い立たせた。身辺に相談できるアメリカ人夫婦がおり、その奥さんには子どもたちの面倒も見てもらい、助かった」と当時を思い出す。
 4度目の結婚は同じ会社で働く16歳年下の男性だった。当時芳子さんは45歳、夫クレーグさん29歳だった。クレーグさんは子どもを抱えて懸命に生きている芳子さんに同情し、最初は子どもたちと遊びに出掛け、いつも力になってくれていた。芳子さんは「3年間息子のように付き合っていた。彼が家庭の事情を全部理解してくれ、全てを受け入れてくれた」と話す。
 その結婚から約30年。クレーグさんが育った築60年の家に住み、家の修理は器用な芳子さんが担当。5エーカーの庭にはいく種類ものサボテンが所狭しと咲いている様子は圧巻だ。
 芳子さんの波乱の人生を見てきた子どもたちは母親の苦労をねぎらうため、孫4人ともども、週に一度は集まり食事する。2児のシングルマザーの長女スーザンさんは50歳。大学で会計学を学び、地元の大学で人事の仕事をしている。次女シェリーさんは46歳。芳子さんが働いていた会社に勤めている。長男ビルさん43歳は警察官。三女マリリンさんは41歳、大学のカフェテリアで働く。
 芳子さんはヒューズエアクラフト社で42年間働き、機械班長として会社に貢献した。現在は、アリゾナ県人会長を務め、洋裁を教えるボランティア活動をしている。芳子さんのモットーは「一日楽しく生きていくことだ」。「全て人生の歩みには理由がある。生かされていることへの感謝の気持ちを持つことだ」と笑顔で話してくれた。(鈴木多美子通信員)