沖縄戦当時、南城市玉城糸数の糸数壕(アブチラガマ)で九死に一生を得た元日本兵の故・日比野勝廣さん=享年85、愛知県=の妻の故・宣子(のぶこ)さん=享年78=が夫の戦争体験を編集した手記「我が夫の沖縄戦・『生』と『死』の闘い」がこのほど、日比野夫妻の娘4人によって自費出版された。
終戦後の1948年に結婚した宣子さんは勝廣さんが戦争で負った心の傷に触れ、「真実を伝えたい」との思いで編集し、60年ごろに婦人向け雑誌に投稿した。原稿は掲載されることはなかったが、娘たちが50年以上経て一冊の本として世に問うことになった。
勝廣さんは43年に召集を受け、第62師団独立歩兵第23大隊に配属された。中国各地を転戦後、44年に対馬丸で那覇港に着いた。激戦地の宜野湾市嘉数高台の戦闘に参加し、その後浦添市安波茶で負傷。破傷風にかかったが、アブチラガマで約3カ月過ごし、住民から食料をもらうなどして命を取り留めた。
勝廣さんは手記に「路傍に横たわる数知れぬ兵の頭は飛び散り、足は切れ、両眼は飛び出し、全身焼けただれている」などと記し、当時の凄惨な状況を伝えている。
戦後は人形職人として働く傍ら、慰霊のために百回以上も沖縄に足を運び、住民と交流を重ねた。
宣子さんは勝廣さんの戦地での体験を知らずに結婚したが、その壮絶な体験や生き残った夫が抱える自責の念を知り、夫の手記で戦争の真実を伝え、同じく「生の苦しみ」に耐えている人を励まそうとした。宣子さんは本で「夫の歩んできた道を振り返り『生きる』尊さを今一度考えてみたい」と記し「戦争の悲惨さ」と「生命の尊さ」を伝える意味をつづった。
四女の柳川たづ江さん(58)は「父と母は助けていただいた沖縄の方々にお礼の気持ちを伝えたかったと思う。二人の間にあった平和への強い思いを次の世代に託したくて、本にまとめた」と述べた。
本はアブチラガマに隣接する南部観光総合案内センターで1冊500円で販売している。問い合わせは、ゆうなの会(電話)090(9786)7296。(与那覇裕子)