【アメリカ】移民の苦労に思い OTV元常務前原信一さん


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講演終了後、記念撮影に笑顔を見せる、(左から)下地のりこ、比嘉朝儀、前原信一、国吉信義の各氏=北米沖縄県人会館ヤマウチ・ビル

 前原信一沖縄テレビ放送(OTV)元常務取締役(64)がこのほど、北米沖縄県人会で講演した。世界で活躍する県人を1987年から15年にわたって紹介した番組「世界ウチナーンチュ紀行―沖縄発われら地球人」の取材と放送の功績がたたえられ、ハワイ大学の名誉人文学名誉博士号が2011年12月17日、マノア校で授与された。

 前原さんは1948年沖縄生まれで、同志社大学文学部卒業後、73年に沖縄テレビ放送に入社、報道局でニュースアナウンサーをしながら取材・番組制作に携わる。93年に「粛清された沖縄県人」でFNS(フジネットワーク)ドキュメント大賞優秀賞と第9回世界テレビ映像祭人権賞を受賞した。前原さんは講演で英語と日本語を交え、沖縄移民の歴史、推移、問題点などに触れた。
 ペルーに移民した1世があまりの苦しさに「私はここに死ぬために来たのか」とため息をついたという。ブラジルではコーヒー農園でお金を稼ぐことはできず、脱走者が出た。お金を早くもうけて送金しなければならなかったからだ。
 移民を送り出した沖縄で家族は「ティガミグヮーは後でよい、ジングヮーを先に送れ」とせがんだ。また南米2世は日本語で話しても通じなかったが、ウチナーグチは理解した。ハワイでは沖縄からの移民者が本土出身の移民者に「変な日本人」として差別されたエピソードなどをユーモアを交えて語った。
 前原さんは現在、琉球大で非常勤講師を務め、本の執筆に取り組んでいる。「現代の若者は移民の歴史にあまり関心を示さない人が多いので、移民の歴史やウチナーンチュ大会開催の必要性などについて琉大で講義している」と結んだ。(当銘貞夫通信員)