祖父が父に手を掛けた 中村座間味村議長「集団自決」初めて告白


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家族が「集団自決」を体験したつらい過去を公の場で初めて明かす中村秀克さん=28日、宜野湾海浜公園屋外劇場

 「島の先輩から、父も『集団自決』(強制集団死)の被害者だと知らされ、ショックを受けた」。座間味村議会議長を務める慶留間島出身の中村秀克さん(56)は、沖縄大会の壇上に立ち、父親が「集団自決」の現場にいたことを公の場で初めて明かした。

「手を掛けたのは私のおじいさんだ」。続く言葉に、会場は一段と静けさを増した。祖父も父も決して語らず、30代の時に聞いた話をずっと胸に秘め、この大会で告白した。
 大会後「東京では4月28日を祝おうと式典が開かれている。事実を事実として伝えないと、忘れ去られてしまうのではないか危機感があった」と語った。
 慶留間島に米軍が上陸した後、防空壕内で祖父が「みんなで死のう」と祖母を絞め殺したと、周囲から聞いていた。30代半ばごろ、慶留間出身の年長者から、中村さんの父も同じように手を掛けられたが生き延びたことを教えられた。祖父は記憶を閉じ込めるように、戦後すぐに防空壕の入り口をふさいでしまったという。「生き残ってしまい、非常に苦しかったと思う。誰にもしゃべることなく、墓まで持って行った」
 戦後、戦火で焼失した戸籍を再製する際に祖父は「これから豊かなヤマト世になる」と期待し「仲村渠」から「中村」に改姓したが、待ち受けていたのは「アメリカ世」だった。復帰前の1970年、コザ騒動の発端となった糸満・主婦れき殺で亡くなったのは、中学校の同級生の母親だった。無罪判決に、強い理不尽の念を抱いたのを覚えている。
 復帰から40年以上がたち、祖父が期待した「ヤマト世」になったはずだったが「講和条約で切り捨てられた時から沖縄の状況は何も変わっていない」。沖縄の置かれている状況を少しでも打開しようという思いが、家族のつらい過去を明かすことを決意させた。