【島人の目】突然の帰国


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 公立高校で4年間教え、日本企業に就職した教え子が突然アメリカに帰って来た。大学では日本語を専門にし、在学中は日本に留学、また夏季には、インターンとして日本の大手リクルート会社で働き、流ちょうな日本語と熱心な仕事ぶりが気に入られて卒業後その会社に正社員として迎えられた。

1年半の会社勤めで彼女が下した決断は退職。娘の異常さに気付いた両親から「早く帰って来なさい」との後押しがあり帰国となった。
 会社に入ってまず、全新入社員がお茶の入れ方、出し方を学んだという。上手にできなければ先輩の「お客さま」から注意を受ける。毎日のように服装、靴など身だしなみにまで細かく要求された。ハイヒールが原則で、通勤はかなりこたえたそうだ。
 一番大変だったのは、定刻時には帰れなかったことだ。夜9時に家に着けばラッキーだったそうで、ほとんど終電ぎりぎりまで会社詰め。みんなが遅くまで残り、毎日「次これやって」と定時後に上司から仕事を仰せつかり、9時以降は頭も回らなくなりミスを連発、叱咤(しった)の厳しい言葉に泣く日々だったという。
 23年間、アメリカの社会で生きてきた25歳の米国人の彼女は、日本の会社のシステムについて行こうと必死でもがくが、いつの間にか、ご飯が食べられなくなりやせ細り、胃が痛み、とうとう心療内科を受診した。
 支えてくれたのは同期の仲間たち。みんなも同じく不平不満を金曜日の夜に共に発散した。すでに辞めていった同期もいた。残念なのは日本大好きだった彼女が日本社会の縮図である会社組織に否定的になったことだ。
 しかし今、両親の下で好きな馬と触れ合い、バージニアの自然に癒やされて「心配りの細かい日本での経験は自分にとって貴重だった」と言えるようになった。
 とにもかくにもグローバル化を掲げながらも、相も変わらず効率の悪い旧態依然とした日本組織の矛盾にただ驚かされるばかりであった。
(鈴木多美子、米国バージニア通信員)