【母として・異国で生きる県系人】英子・フィエールドさん 名護市出身


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英子・フィエールドさん(右から2人目)と家族

沖縄の優しさに誇り
 名護市出身の英子・フィエールドさん(70)=旧姓・照屋=は1970年、結婚後渡米し4カ月目に世界銀行に秘書として採用された。

米国ワシントンDCに本部を置く世界銀行は発展途上国への資金援助を目的とした国際機関だ。英子さんはアジアセクションに配属され一般業務を任された。その間に政府機関で働く夫ダーウィンさんとの間に息子2人に恵まれ、仕事と家事・育児に追われる日々が続いた。英子さんは「殺人的な忙しさだったが、頼りになる家族もいなかったので当たり前だと思っていた」と話した。「1日1回晩ご飯だけは家族だんらんの時間を持つことを実行した」と言う。
 英子さんは真面目さが認められ昇進。資金援助のプロジェクトで部署のパートナーが担当国へ派遣されると、一人二役をこなさねばならなかった。関係筋からの電話の問い合わせに時間が割かれ、ストレスを感じ眠れない日々も。幸い、世界銀行の恩典で沖縄から若い女性にベビーシッターとして2年間、来てもらった。
 その後、夫にイスラエルへの転勤命令が出て家族で引っ越すことになった。イスラエルでは爆弾の音が聞こえてくる中、しばらくカルチャーショックが続いた。だが、キリスト教の発祥の地であることに興味を持ち、子どもたちと聖書を読みながら巡礼の地の旅を楽しんだ。その後DCに戻り、2年後パナマへと移った。
 その後沖縄へ転勤となり長男クリスさん(40)と次男デビットさん(38)は嘉手納のアメリカンスクールで学んだ。英子さんは「息子らは感心するほど人種差別を嫌う。沖縄の家族の優しさを十分に感じた2人は沖縄の血を誇りに思っている」と語った。2人とも沖縄の血を引くことや沖縄、イスラエル、パナマの異文化経験が「人類平等」の精神を培わせてくれたようだ。
 クリスさんは民主党のロックフェラー上院議員のアドバイザーとして国会で活躍。デビッドさんは州立大学でコンピューター関係の仕事に就いている。
 英子さんが49歳の時、人生に思わぬことが起きた。卵巣にがんが見つかったのだ。緊急手術をハワイで受け、DCの国立がんセンターで化学療法を受けた。副作用で体力消耗と食欲減退の不快感に悩まされるつらい月日を過ごした。生きる希望は息子たちだった。長男の大学卒業の晴れ姿を見たい。そして息子らの結婚式にも出席したい―。その一心で苦しい治療に耐えた。「私は進行がんの生存者だったが、絶対に諦めなかった。諦めないで」とがんと闘っている沖縄の女性たちにメッセージを送った。(鈴木多美子)