【母として・異国で生きる県系人】米子・バイスラーさん 久米島出身


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米子・バイスラーさん(右から2人目)の家族

叱咤激励し子を見守る

 米ワシントンDC、空の玄関ダレス空港近郊にある住宅街に住む米子・バイスラーさん(68)=久米島出身、旧姓高里=を訪ねた。日曜日とあり、米子さん宅には、近所に住んでいる娘たちに息子夫婦、そして孫たちが集合し、仲むつまじき家族のぬくもりが伝わってきた。

 1966年、米子さんは海軍所属の夫ピーターさんと結婚。その後コンピューター技師として民間の大手コンピューター会社に勤めた夫の転勤で東京、ミネソタ州、また東京と移転。最後は沖縄に5年滞在し、その間2女1男に恵まれた。
 その後、慣れ親しんだ沖縄を離れ、米国への引っ越しを決めた。その時長女クリスさん(45)は多感な高校生。大人の都合で大好きな沖縄を離れることを嫌がり、米バージニアの高校に転入してからしばらく反抗期が続いた。
 その時、米子さんはクリスさんが地元の学校に慣れ、気持ちが落ち着くのを静かに見守った。クリスさんはその後、メリーランド州立大学に進みビジネスを専攻し、卒業後は航空会社に就職した。結婚し1女1男に恵まれるが下の子が1歳半の時、離婚した。他州に住んでいたが両親を頼ってバージニア州に戻り、他の航空会社に勤め現在シングルマザーとして2人の子どもを育てている。
 次女マリアさん(41)は短期大学を終え結婚。価値観の違いで離婚するが、現在政府関係の仕事をし、キャリアを積んでいる。長男ピーターさん(37)はバージニア工科大学でスペースエンジニア、数学、潜水艦エンジニアの三つの学位を取得した。現在は政府関係の仕事に就いている。結婚し2歳の男の子が1人いる。
 米子さんは「子どもたちが小さいころは、東京や沖縄でよくアメリカーと言われ、髪を引っ張られるいじめもあったが、そんな時は日本人以上になりなさいと言い、アメリカの学校在学時は日本人の血が流れているからアメリカ人以上になりなさい」と叱咤激励(しったげきれい)したと振り返る。
 子どもたちが独立してからも人生の岐路に立たされた娘たちを精神面で支え続けた。米子さんは2人の娘の離婚について「娘たちがよく考えた上でのことだ」と彼女たちの決断を尊重したという。
 米子さんは結婚してから18年間専業主婦を続けた。ケーキ作りが得意で、義母の後押しでケーキ屋に面接に行き、採用された。
 13年前、仕事で出張が多かった夫ピーターさんから突然「もう、飛行機に乗るのは疲れたので退職する」と言われた。家のローンや生活費はどうなるのか心配だったが、夫から「君が働いているから大丈夫」と一言。その後もデコレーションの指導者としてケーキ作りにいそしんだ。
 昨年、23年間続けたケーキ職人を退職した。「やりたいことをやってきた人生。悔いなし」と話す米子さんは今は陶芸製作に夢中だ。クラフトショーなどで作品を即売している。(鈴木多美子通信員)