【島人の目】竹富の美・古いものの美しさ


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 故郷の沖縄を知らない人には、日本人であれ外国人であれ、島々を訪ねる機会があったら必ず竹富島に足を延ばしてください、と頼むのが僕の口癖である。なぜそうなのかというと、竹富島こそ失われた古き良き沖縄を体現している唯一の場所だと考えるからである。

 昔ながらの赤瓦の屋根や石垣、防風林、サンゴの砂を敷きつめた白い道…。「夢のように美しい」と司馬遼太郎が絶賛した竹富島の「古き美」は、今も変わらずにそこにある。しかも島の集落には今日も人が住んで普通に暮らしている。昔の町並みを保存し展示しているだけの「古い沖縄」とはそこが違う。
 ところで、古い町並みや建造物が美しく、かつ人の心を打つのはなぜか。それは、それらがただ単に古いからというのではない。それらが人にとって必要な物だったからである。
 必要だから人はそれを壊さずに大切に守り、残して使い続けた。そして人間にとって必要な物とは、多くの場合機能的であり、便利であり、役立つ物であり、かつ丈夫な物だった。
 使い続けられるうちにそれらの構造物には人の気がこもり、物はただの物ではなくなって、人の精神の何かがこもった「もの」になっていく。そして人の精神の何か、とは言うまでもなく、文化であり歴史であり伝統である。それがわれわれに何かを訴え掛けて、われわれの心を揺さぶる。
 使われ続けるうちに人々の息吹が入魂された歴史遺産こそ、文化の美であり、かけがえのないものなのである。
(仲宗根雅則、TVディレクター)