胸迫る 歌「ひめゆり」 一高女出身・大嶺さん作詞


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「ひめゆり」を歌う大嶺輝子さん(左から2人目)と合唱団「たんぽぽ」の会員=5月27日、那覇市首里石嶺町の食事処「たんぽぽ」

 戦前、真和志村(現那覇市)安里にあった県立第一高等女学校出身の大嶺輝子さん(86)=那覇市=が、ひめゆり学徒隊として戦場動員され犠牲になった旧友を追悼し、作詞した歌「ひめゆり」に共感の輪が広がっている。

大嶺さんは1944年4月、進学のため上京し、沖縄戦を免れた。帰郷後、旧友や後輩から聞いた戦場体験が脳裏に焼き付き、亡き友の面影を抱えながら生きてきた。「戦争が憎い。戦がなければ、(亡くなった)彼女たちも孫やひ孫に囲まれ、幸せな家庭を築いていた」と、唇をかみしめる。
 大嶺さんは約2年前に歌詞をつくり、「浜辺の歌」に乗せて歌っていた。5月、大嶺さんが所属する合唱団「たんぽぽ」の指導者・平良俊子さん(80)が作曲し「ひめゆり」が誕生した。たんぽぽのほか、平良さんが教える他の2合唱団の練習でも定着しているという。
 歌詞は「安里ケ原の花園に けなげに香る百合の花」から始まり、2番では皇民化教育を受け、日本の勝利を信じて疑わなかった学徒隊の姿を描く。3番は沖縄本島南端に追い詰められ、命を失った旧友たちを思い、「乙女のままに語り部となりて世界に愛を告げ」と反戦を誓っている。
 大嶺さんは「戦時中、生きるか死ぬかは髪の毛一本の違いだった。生き残っても亡くなった友に対して罪悪感を抱き、割り切れない気持ちで生きている人もいる」と語る。たんぽぽの練習では「ひめゆり」を口ずさみながら、目頭を押さえる会員の姿も多い。平良さんは「歌詞を読んだときに胸が震え、一晩で曲が湧いてきた。ずっと歌い続けていきたい」と共感を寄せた。

英文へ→Moving song about Himeyuri students