続・他人の気持ちなど分かるものか 岩井秀人のハイバイ『て』


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

▼「家族」とは、多くの人にとって、自分を認めてくれるありがたく、得難い礎かもしれない。しかし多くの人にとって、家族でさえなかったらこんなに傷つけ合わずに済むのにという避け難く、裂き難い根でもある。

▼岩井秀人が主宰する劇団「ハイバイ」が、10周年を記念して代表作『て』のツアー公演をしている。2008年の初演から、プロデュース公演を含めて4回目。今回の公演は残りわずかだが、必ずやまた機会は来る。誰かれ問わず、一度は観劇を勧めたい傑作だ。

▼かつて父親から日常的に暴力を振るわれ、バラバラな家族が、祖母の痴呆をきっかけに数年ぶりに集まってみるが、全然うまくいかない状況を描く。祖母の葬儀場面で始まった後、生前へさかのぼり、祖母が住む離れで開いた宴会場面となる。
 宴会の場には、父母と、4きょうだい(男2人、女2人)と祖母。「外部の人」である長女の夫、次男の友人もいて、「家族」を際立たせる。父親がカラオケで歌う。「全員いる」ことに昂揚する次男。長女は次女に、皆集まったんだから歌ってと促す。次女は耐えきれず部屋を出る。長男は、家族っぽさを試みる弟妹を冷め切った言葉で逆なでする。口論の脇で父親は、子どもたちが家族のために一生懸命だと満足げに笑い、次男が爆発する。

▼宴会場面は、再び最初から描かれる。次男の記憶に基づく描写から、母親の記憶に基づく描写に切り替わるのだ。観客は「外でこんな会話があったのか」「違う光景に見えていたのか」と、キュビズム絵画のパズルが埋まっていくような楽しさを味わい、小刻みな笑いや爆笑、涙が共存する。置かれた物は最小限の素舞台で、時間と空間を巧みにスキップする加減も、セリフも良い。
 他人の物語や気持ちは、想像力で分かった気にはなれても、分かりはしないのだと再認識する。それが爽快だ。ハイバイの公演ポスターの裏などによく、テレビプロデューサー佐久間宣行が寄せた文章が載る。とりわけ「(岩井作品には)物語のために都合よくできているものなんてひとつもなくて、『世の中は自分のためにあるわけではない』という事実を決してねじ曲げてない」との一文は、爽快さと符合する。

▼『て』は、岩井の家族の実話で、彼は次男だ。16歳~20歳まで他人恐怖症で引きこもりだった岩井は、体験を戯曲化し、他人と共有することでつながりを持てるようになったという。舞台を見るたび(村上春樹の最新刊から言葉を借りれば)“一人で夜の冷たい海を泳ぎ切った”ことがあるだろう人が作った覚悟を感じる。
 彼の戯曲はどうしようもない状況の人間を描く。ハタから見ると滑稽で哀切だ。立川談志が残した言葉「落語とは人間の業の肯定」に近いかもしれない。肯定とはいえ、弱さを合理化するわけでも、自己憐憫への同調を誘うでもない。成長譚というほどでもなく、希望は安易に提示されない。ただただ客観するうちに、もう少し生きてみようと思わせてくれる。
 岩井の演出には、観客の過剰な感情移入を食い止める仕掛けがある。母親役を演じるのが男性(初演と今回は岩井)なのはその一つ。開演直前には、母親役が出てきて「携帯電話の電源は切ってくださいね…」と観客に話し掛け、「それでは始めます」と言ってすぐ始まる。一つの出番を終えた役者が、次の出番まで待機するのは、観客に見える場所だ。

▼『て』の後味は悪くないが、家族再生への希望までは見えない。再生の必要があるという前提も見えない。ただ「この人たちはこれ以上ダメにはならないんじゃないか」という予感は残る。それは「図らずもドン底でした」という類の、受動的で逆説的な希望だが、自信満々な自己啓発書なんかより、よっぽど現実味がある。

▼上演後の「アフタートーク」で岩井は、今も実家で父親と目を合わさず、言葉も交わさないと語った。ごく普通の話しぶりだったが、『て』を書いた上での父親への感情を司会者が尋ねると、きっぱりとした口調で言った。「これで稼いでやる。これを見て死んでしまえ、という感じ」。休火山が突如3秒だけ爆発したような光景だった。(東京芸術劇場にて観劇。敬称略)
 (宮崎晃の『瀕死に効くエンタメ』=共同通信記者)

※ハイバイ10周年記念ツアー『て』は、残すところ6月15日(土)~16日(日)香川・四国学院大学 ▽22日(土)~23日(日)札幌・コンカリーニョ。
※このコラム枠では昨年12月、岩井秀人作・演出舞台『ヒッキー・ソトニデテミターノ』を紹介しました。よろしければそちらも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮崎晃のプロフィル
 みやざき・あきら 共同通信社記者。2008年、Mr.マリックの指導によりスプーン曲げに1回で成功。人生どんなに窮地に立たされても、エンタメとユーモアが救ってくれるはず。このシリーズは、気の小ささから、しょっちゅう瀕死の男が、エンタメ接種を受けては書くコラム。
(共同通信)

ハイバイ10周年記念全国ツアー『て』のポスター
宮崎 晃