【母として・異国で生きる県系人】慶子・太田・ディエテリッチさん 那覇市出身


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子の好きな道を尊重
 那覇市出身の慶子・太田・ディエテリッチさん(72)は約50年前、当時琉球政府の施設課で働いていた時、海軍将校だった夫のジェフさんと友人の紹介で知り合った。1年の遠距離恋愛の末、ジェフさんは慶子さんのために軍を退役し沖縄に戻り「ヴォイス・オブ・アメリカ」の事務局で働いた。そして那覇の三原教会で晴れて挙式した。

 その後、外交官になったジェフさんに付いて当時不安定な中東や内戦中の南米の国などを回り、1女1男を育てた。爆音を聞きながら子どもたちを守るため、落ち着かない不安な日々を過ごしたこともあった。
 長女マリさん(46)は沖縄生まれ。小さい時から読書に没頭しエッセーを書き漫画や絵を描くのも好きだった。成績優秀で高校を16歳で卒業、ハーバード大学に進学し英文学を専攻した。卒業後、ワシントンDCで就職するが、大学院に進学しビジネスを学んだ。修士号取得の前に外交官の試験に挑戦し見事、合格。1年後、外務省からの採用の通知が届く。
 スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ロシア語が堪能なマリさんはロシア赴任中に軍関係のガードをしている男性と知り合い結婚。彼にはすでに2人の子どもがいた。結婚に反対しなかったかと聞くと「マリはその2人の子どもたちのことも親身になっていたし、彼女が選んだ道を信じた」と慶子さんは話す。娘が1人増え、現在赴任地のエルサルバドルで報道官の職に就いている。
 長男のロバートさん(32)はイスラエル生まれ。小さいころから優しい性格で誰からも好かれたという。大学ではコンピューターサイエンスを専攻し卒業後、英語教師助手として念願の日本の地で働くことになった。
 帰国後、米国のIT関係の仕事に就くがその間、日本で行われた大規模のコンピューターのゲームショーを見に行った際、日本の会社にゲームデザイナーとして採用された。現在日本人女性と結婚し男の子に恵まれ東京に住んでいる。
 慶子さんは「子どもたちがそれぞれ好きな道を選択していくことを尊重してきた。ただ、悔いているのは心のよりどころである故郷沖縄を頻繁に訪ねることができなかったこと。昨年から家族で沖縄旅行を計画している」と語る。「これまでの私の人生は各国で素晴らしい人たちに巡り会い、子育ても運が良かった。今もいい人生を送っている」とも話した。(鈴木多美子通信員)

慶子・太田・ディエテリッチさん(右)の夫婦
マリさん(前列右)の家族
ロバートさん(左)の家族