【読谷】戦争を生き延びてきた人たちの心を歌った沖縄民謡の名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑が、作詞作曲した比嘉恒敏さんの出身地・読谷村楚辺に完成した。23日、恒敏さんの娘4人でつくるコーラスユニット「でいご娘」らが参加し、除幕式が開かれる。
恒敏さんの長女・島袋艶子さんは「父は戦没者ではないから、平和の礎に名前はない。この歌碑は私にとっての『父の礎』なんです」と語り、歌碑に刻まれた父の名に、そっと指を添える。
「艦砲―」は、笑いを誘う歌詞や軽快なリズムの中に、家族を失った悲しみや平和を願う心を歌い、多くの人の共感を呼んだ。
恒敏さんは沖縄戦で6人の家族を失った。1973年、宜野湾市大山で飲酒運転していた米兵の車が恒敏さんの乗る車に突っ込み、恒敏さんと妻・シゲさんが亡くなった。今年は夫婦の没後40年の節目。恒敏さんは、生きていればカジマヤーを迎える。
三女の普久原千津子さんは今でも、夜中に三線をつま弾き、さびしそうに歌う父の姿を思い出す。「父は恐縮しつつも喜んでいると思う。地域や協力していただいた方々に感謝したい」と涙ぐんだ。
実行委員長の池原玄夫さんは「一人一人の中に艦砲のような物語がある。この歌が子や孫の時代になっても歌い継がれてほしい」と語った。
英文へ→Song Leftovers of the Warship inscribed on stone