「遺骨、帰ってきて」 奥間春子さん(うるま市)


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家族や親類の刻銘の前で「また来たよ」と水を掛ける奥間春子さん=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 具志川市宇堅の戦没者の名が刻まれる礎にずらりと並ぶ「渡久地」家の人々。その名前に水を掛けながら、奥間春子さん(75)=うるま市、旧姓渡久地=は「またちゃんどー(また来ました)」と手を合わせた。

父、姉、兄、全滅した叔父家族をはじめとする十数人が、唯一昔を知る春子さんを毎年待つ。サイパンや沖縄本島南部で亡くなり、遺骨は戻らない。「お墓に納めたのは全員、石。1人でも帰ってきてほしい」。遺骨を取り戻そうと、国の戦没者遺骨DNA鑑定に申し込んでいる。
 渡久地家は戦前、サイパンで農業をした。父の加那(かなー)さんと姉ゴセイさんは、春子さんを妊娠中だった母たちを、戦争が迫る南洋から沖縄に帰した後に亡くなった。叔父一家もサイパンで亡くなる。沖縄では防衛隊に召集された兄の宗寛さん=当時(19)=や親類の多くが亡くなった。兄が亡くなった首里に近づくと「やっちーぐゎー(兄さん)、姿だけでも見せてと思う」
 加那さんら子どもたちを一度に失った祖母ゴゼイさんは戦後、心を壊し、「どぅーぬくゎぬちゃ、むるうーらんなてぃ(何で自分の子どもたちだけいなくなった)」と毎日叫んだ。春子さんは残された者の無念を見て育った。
 サイパンでの遺骨収集はもはや困難で、県内での遺骨収集や国のDNA鑑定に伴う遺族捜しも、民間任せの現状がある。それでも春子さんは、死に苦しみ、生きて苦しんだ家族のため、遺骨を諦めない。(石井恭子)