【糸満】北谷町の津嘉山静子さん(87)は23日、ひ孫までの4世代10人で糸満市摩文仁の平和の礎を訪れた。防衛隊に招集され摩文仁で命を落とした弟の庫盛(こうせい)さん=当時(18)=や、嫁ぎ先の津嘉山家4人の刻まれた名前に向けて手を合わせた。
沖縄戦では米軍上陸後に沖縄本島北部に避難し、現在のうるま市前原で終戦を迎えた。
家族が準備した簡易いすに座りながら「弟はとても祖母思いの子で、カーギ(顔)も良かったよ。戦争のない、基地のない沖縄になってほしい」と刻銘された名前を見詰めた。故郷の北谷町大村の大部分は、今も米軍基地に土地を接収されたままだ。
ひ孫の大湾綾太君(14)=北谷中3年=と、雅斗君(13)=興南中2年=は礎を前に「こんなに多くの人が亡くなったと考えると、戦争はおそろしい。本島中部では米軍機の騒音がいつもうるさい。戦争から歴史が続いているんだと感じる」と語った。