『教場』 長岡弘樹著


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これが警察小説の最新型
 ミステリー、エンターテインメントの書き手としてデビューした小説家に、「警察小説を書きませんか?」というのは、文芸編集者の常套句にすらなっているのではないか。というほど、様々な人が趣向を凝らした、たくさんの警察小説を生み出している。昨今の流行は女性刑事ものだろうか。旧態依然とした男社会の中で、したたかに鮮やかに、そして時に色っぽく活躍する女性刑事の造形に、みな力を注いでいる。その他、実家が大富豪だったり、過去に恋人が殺されていたり、特殊能力が使えたりと、ありとあらゆる設定やキャラクターが乱立していて、もはやこのジャンルで新しい手を打つのは難しいのではないかというほどの飽和状態である。

 しかしここに、「前代未聞の警察小説」という帯コピーが躍る作品が登場した。長岡弘樹さんの『教場』である。当然期待は高まる。
 どこが前代未聞なのかは色々と総合してということになるのだろうが、初めに言ってしまうと、この小説は厳密には警察小説というよりも、警察「学校」小説なのである。登場するのは警察学校の生徒とその教官、そしてほんのちょっとの先輩警察官のみ。舞台で言えば、警察学校の敷地をほとんど出ていない。というと看板に偽りと思われる方もあるかもしれないが、いや違います。そもそもタイトルが「教場」つまり警察学校のことだし、警察学校の生徒も教官も肩書きでいえば警察官なので、間違いなく警察小説であるのだ。おお、そう来るのか!とは思いはしたけれど。
 前置きが長くなったが、何小説であるのかという問題は、それが本当に面白いのかに比べれば、まったくどうでもいい話である。故に、この小説を筆者は、とても純粋な気持ちでおすすめしたいと思っている。
 警察学校にやってきた様々な生徒たち。なぜ警察官になったのか、将来どんな警察官になりたいのか、胸に抱える想いはそれぞれ異なる。しかしこの「教場」での厳しいルールの中では、生徒の感情や事情は一切斟酌されることはない。携帯電話は週末まで没収、敬礼で頭を下げる角度は決まっていて、5歩以上歩く場合は小走り、生活のあらゆる局面が理想的な警察官を養成していくための訓練なのである。もちろん授業自体もスパルタ(懐かしい響き!)そのもので、「職務質問想定実習」「検問実習」「運転実習」「水難救助」などなどで警察官のイロハを叩きこまれ、覚えの悪い生徒には罰則として、張り手、腕立て伏せ、トイレ掃除、炎天下での草むしりなどが課せられるのである。これが一般の学校で行われていたとしたら、それこそ警察沙汰になりかねないけれど、小説で読む分には、その息苦しさがどこか心地よい。それは警察小説全体が求められる理由と重なっているのかもしれないが、融通が利かない組織や強固な縦社会に対する憧れのような感情が、自分のどこかに確かにあるのだ。本当にそこに行きたいとは思わないけれど、そんな世界を覗くことはある種の快楽である。つまりファンタジーを抱ける対象ということ。
 しかしこの小説の面白さは、そのレベルに留まらない。第一話を読み終えた後に気が付くのだ。あ、もっと注意して読まなければいけなかった!と。あの時、主人公が捨てたゴミが、教官の汗のかき具合が、校庭25周のペナルティーが、すべてすべて意味を持っていたのだ。そうなってくると読み手は突然、緊張感に包まれる。登場人物たちの一挙手一投足に注意を傾けねばならない。何が描写されているのか記憶に留めて置かなければいけないと思う。それはあたかも、著者長岡さんと読み手である自分との勝負のようだ。そして筆者はその勝負にことごとく敗れた。
 人の心の奥深さや奇妙さを、警察学校独特の小道具を使ってトリックに仕立て上げる。それは、感情の波とドラマの曲線をぴったりと一致させなければいけないという高い理想のもとに作られているということでもある。とても高度な技術を要することだ。
 帯コピーには「2013年ミステリー界のナンバー1を勝ち取る、新たなベストセラー!」とある。発売されたばかりなのに、フライングでは?と思わないこともないけれど、担当編集の方、その心意気、素晴しいのではないでしょうか。未来がないと嘆かれることの多い小説という分野において、こういう前のめりな姿勢が新しい局面を切り拓く。
 (小学館 1500円+税)=日野淳
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日野淳のプロフィル
 ひの・あつし 1976年生まれ。出版社で15年間、小説、音楽、ファッションなどの書籍・雑誌の編集に携わり、フリーランスに。今、読む必要があると大きな声で言える本だけを紹介していきたい。
(共同通信)

教場
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