【島人の目】マラソンに秘められたドラマ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 リチャード・ニクソン元米大統領が生まれた米カリフォルニア州ヨーバリンダの隣町ブレアに住むジョン・クリールは77歳、マラソンを始めたのが18年前だ。アメリカ各州のマラソンにほとんど出場し、ことしのロサンゼルス・マラソンにも参加した。これが彼の60回目のマラソンへの参加となった。彼の妻はドイツ生まれ、1995年に体組織硬化症を患い、車いす生活を余儀なくされ、ジョンが一切の面倒をみる。

 ジョンはそのことを一切苦にならないという。むしろ妻と一緒に喜怒哀楽を共にすることができる2人の生活に生きがいを見いだす。
 だが、自分が先に死んだら妻がふびんでならない、強くならなければとマラソンを始めた。走っている時は無心になり、全てのことを忘れ、ストレスの解消となる。妻もそれを奨励する。自分のため、妻のため、そして2人のために走るのだ。(LAタイムズの記事より)
 3月17日のロサンゼルス・マラソンは2万4千人が参加。ドジャース球場を午前7時に出発、リトル東京も通過する26・2マイル(約42キロ)のコースで、ことしは第28回となる。この大会に沖縄から元テレビ・ディレクターの前原信一さんが参加した。
 彼がランニングを始めたのが35年前。そのころ、アメリカの影響でランニングが健康に良いということが日本にも伝わり、ジョギングがブームになっていた。彼は学生時代に柔道をしていたが、仕事についてからは運動は全くしなくなった。30代だったので仕事も忙しくストレスもたまっていた。そうしたこともあって走るようになり、次第に魅力に引かれていった。
 最初は5キロを走るのもやっとだったが、35歳で初めてフルマラソンに挑戦し、完走した。フルは今度のLAマラソンで52回目。若いころは4時間を切ることもできたが、最近は5時間も切れなくなった。LAマラソンはドジャー球場からサンタモニカ・ビーチまで切れ目のない熱狂的声援に後押しされながら5時間30秒、無事完走した。海外でのマラソンは60歳の還暦記念にニューヨークを皮切りにシドニー、ベルリン、ホノルルと毎年走っている。
 マラソンには常に人間ドラマが秘められている。それを発掘、読者に提供するのもジャーナリストやコラムニストの責務であろう。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)