【島人の目】心の帰る場所


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 フランスに渡った当初、日本に帰りたくて、帰りたくて、しょうがなかった。勉強をしたいと志を持って来たわけでもなく、知り合いもいない。たまたま出会ってしまった夫がフランス人というだけで、言葉もろくにできはしない。ましてや、慣れない子育てをしながらの毎日である。育児の方法も違うし、産後のマタニティブルーでなぜか涙がこぼれてしまう日々。花の都に住んでいるのがなんだかうそのようだった。
 私が当時住んでいた場所はパリ20区で、黒人や中国人が多い移民の街。日本から来た駐在員の奥さま方には黒人=怖い、というイメージで足を踏み入れられない地区。大きな公園があり、「マルシェ」と呼ばれる、安くて色とりどりの野菜や果物が並ぶ朝市も開かれ、おいしいパン屋もたくさんある庶民的で生活しやすい場所なのだが。
 ベビーカーを押して歩いていると、かわいいね、いくつ? 男の子?(女なのだが)などと、パリでは見ず知らずの人に声を掛けられることも多く、最初は驚いて緊張もしたが、そういった異邦人同士のコミュニケーションやほほ笑みに救われたこともたくさんあった。
 2年前からボランティアで日本人家族向けの情報誌を手伝うことになったのだが、それがきっかけでいろんな人たちと出会い、今はフランスの人・物についての疑問も少しずつ解け、ようやく、パリでの暮らしも心地よくなりつつある。
 そんな中、沖縄に関することで何か自分にできることはないのか? そう思っていたとき、海外通信員の話を前任の又吉さんからいただいた。19歳の春から沖縄を離れている私だが、やっぱり心が帰っていく場所はウチナーしかないみたいだ。(与那嶺 佐和子、フランス通信員)