【母として・異国で生きる県系人】ツル子・ワイルドさん うるま市出身


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ツル子・ワイルドさん(左から3人目)の家族

多くの困難越え3男育てる
 米ノースカロライナ州ジャクソンビル市は大西洋岸に位置し、630平方キロメートルの面積を擁する海兵隊基地キャンプ・ジューンがあり、4万3千人以上の海兵隊が駐屯する、まさに基地の町だ。

その町に根を下ろし沖縄県人会にはなくてはならない人がいる。旧姓・高江洲でうるま市出身のツル子・ワイルドさん(75)だ。
 ツル子さんは1964年に結婚し渡米した。海兵隊員の夫との間に男の子3人に恵まれるが、末の息子が1歳の誕生日の時、夫に隠し子がいることが発覚し離婚。ツル子さんは9歳、7歳、2歳の息子らを抱えてシングルマザーとなった。元夫からは養育費として月200ドルしか支払われなかった。服のサイズが10号から5号になるほど、傷心の日々だった。そんな時、県人らの優しさに支えられ、また救いを求めて教会に通った。
 それから間もなくして一人の男性に出会い、再婚した。ツル子さんは、仕事をしながら妻として、母として、その都度起こる問題を乗り越えていった。95年、その夫が急死した。3人の息子を彼なりに愛し、息子たちの進学に金銭的にもサポートしてくれたことに感謝した。
 長男ダニーさん(49)は海軍に入るが、先生になりたいと大学に進学し、教師の免許を取得するが再度海軍に入隊し今に至る。高校から付き合ってきた妻は小学校の先生で、2人には22~12歳までの4人の子どもがいる。
 次男ダーノーさん(47)は10代に非行に走り、心配の種だったが改心し、現在は手先の器用さを生かして内装の監督をしている。基地のホテルでマネジャーとして働く妻との間には3人の娘がいて、長女は上智大学に留学したことがあり、国防省で働くことが夢だ。
 三男デビーさん(42)は、州立大学4年生のとき、海軍予備軍に入隊する。その後、建築関係の仕事に就く。その傍ら海軍予備軍を22年務め、退役したが再度従軍し、アフガニスタンへ赴く。プリスクールの先生をしている夫人との間に1女2男がいる。
 困難を乗り越えてきたツル子さんは自分の境遇から県人会のモットーの「親睦、助け合い、福祉」を実践し、自ら長きにわたって県人会会長として、また民間大使として活躍し、会の中心的存在である。
 楽しみは年に1度、感謝祭の日に息子夫婦の家族総勢16人が集合し、にぎやかな食事会をすることと、友人たちとの旅行、そしてミステリー小説を読むことだと笑顔で語った。(鈴木多美子通信員)