【母として・異国で生きる県系人】美津子・ウェンさん 読谷村出身


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美津子・ウェンさん(右端)の家族

教育は最高の贈り物
 美津子・ウェンさん(64)=旧姓・伊波、読谷村出身=は読谷高校卒業後、当時県内にあった電力会社、比謝川配電に就職した。友達の紹介で夫となるジェームスさんと知り合い、1974年に結婚した。ジェームスさんは4年間で軍を退役し、米バージニア州の両親の元に戻り、地元の大手企業で職を得た。実直で真面目な夫は勤続40年、その夫を支えた美津子さんは一男一女を育てた。

 長男ジミーさんはことし39歳。大学では機械工学を専攻し、現在はメカニカル・エンジニアとして工場のオートメーションの機械や部品などのデザインの製図や図面などを製作している。美津子さんは「息子は小さいころからおとなしく、反抗することもなく、勉強もクラブ活動も頑張り、何の問題もなく育った。10代のころはいい友人に恵まれた。その親友が日本人と結婚し日本に住んでいる」と話す。
 長女ジェシカさんは30歳。小学生のころから学力優秀で性格は明朗活発。大学は兄と同じバージニア工科大学で、スペイン語と生化学をダブル専攻し卒業時には成績優秀な卒業生に贈られる賞をもらった。大学院に進み、博士課程に進学できる試験にも受かった。
 ジェシカさんは「これからは生物と化学の両分野の研究に取り組み、薬と健康科学に力を入れたい。特に神経系の病気に興味があり、ひいてはアルツハイマー病の治癒に貢献したい」と話した。また「沖縄や日本についても勉強し、近い将来、母方の親戚を訪ねたい」と続けた。
 美津子さんは「子どもらに教育を受けさせるのは最高の贈り物となる。教育ローンなどで子どもたちが卒業後に心配しないように教育費の助けになるよう、いろいろと仕事をした。勉学だけに励んでほしかった」と話す。さらに「夫に感謝したいのは自分の話す英語は拙いものでありながら、夫は、子どもたちにママは日本人なので英語ができなくて当然。逆に日本語に沖縄の言葉、そして英語まで話せることはすごいと言ってくれた」と笑顔。
 これまで子どもらの教育のために里帰りできなかった美津子さんはことし16年ぶりに里帰りした。「どこもかしこも変わっていたが、家族や元職場、同級生らが温かく歓迎してくれて最高の沖縄滞在だった」と最後に語った。
(鈴木多美子通信員)