84年生まれによる藤圭子考 垣間見た70年代という時代


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
CD『聞いて下さい私の人生~藤圭子コレクション』のジャケット

 歌手の藤圭子さんが8月、亡くなった。享年62歳。その死をきっかけに、昭和が持っていた“怪物”のような顔がこちらに振り返った気がした。藤さんの曲が次々とヒットした1970年代という時代を考えてみたい。
 「藤圭子」という名は、現在29歳の記者にとって、同世代の“歌姫”宇多田ヒカルさんの母として記憶されている。残念ながら、藤さんの活躍をリアルタイムで知らない。

 藤さんが芸能界の一線を退いた後も『新宿の女』『女のブルース』などの名曲は世代を超えて残っており、いくつかのフレーズには聞き覚えがある。
 藤さんの曲を聴きながら本稿を書いている。あの端正な顔立ちからは想像もできない野太さと、同時にもの悲しさのある声。特に『圭子の夢は夜ひらく』の印象は強烈だ。暗い過去を乗り越えて夢が花開いても、そこは太陽の下ではなく、夜の闇の中なのだと。
 歌詞の「夢」は「将来の目標」を意味するのか、あるいは睡眠中の「夢」なのか。むしろその両方を表現していると解するのが妥当なのだろう。それが藤さんの活躍した時代の雰囲気だったのではないか。
 藤さんがデビューした69年は、教科書的に言えば、日米安全保障条約の延長をめぐって学生運動の嵐が吹き荒れ、東大の安田講堂が陥落した年だ。藤さんの歌う厭世的な曲調が、戦後の矛盾を解消するために魂を燃やした青年たちの心をつかんだのかもしれない。
 翌70年には大阪万博が開かれた。日本人は何か明るいものの到来を予感しただろう。一方、作家三島由紀夫が腹を切る。人々の心の内奥にも、相反する二つの気分がない交ぜになっていたに違いない。
 社会学者の見田宗介さんは、著書『社会学入門』で60~70年代前半を「夢の時代」と呼んだ。それは戦後直後からアメリカ的豊かさを追求した「理想の時代」と、73年の石油危機を契機に始まった「虚構の時代」の狭間に位置する。
 人々が理想を求めた時代から、現実が虚構であることに気づいてしまった時代への移行期。まさに藤さんが「圭子の―」で歌ったのは、夢の持つ両義性、つまり理想と幻想の相克ではないか。
 見田さんによると「夢の時代」は、核家族化が急速に進行した時代だ。「虚構の時代」になると「社会の中の実体的なものの最後の拠点」としての家族さえも、もはやフィクションとしてしか存在し得なくなる。
 ここまで書いてきて、昭和のグロテスクな側面にあらためて呆然とする。と同時に、2013年現在、その虚構(物語)さえももはや霧消してしまったような薄ら寒さを覚える。
 藤さんに『哀愁酒場』を提供した作曲家の平尾昌晃さんは「今こそ、彼女が活躍する土壌ができたと思っていた」とその死を惜しんだ。藤さんなら、今の時代をどう歌い上げただろうか。
 「子どものように衝動的で危うい」。宇多田さんが亡き母を形容した言葉だ。そんな陰陽を持った藤さんだからこそ、時代の本質を見事にとらえ、鋭敏な感性を持つが故に、苦しんだのではないかと思えてならない。(奈良禄輔・共同通信文化部記者)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良禄輔のプロフィル
 なら・ろくすけ 1984年、堺市生まれ。呉服屋の長男。芸能班にて毎日研さんを重ねています。
(共同通信)