初音ミクとトニー・ベネット、振れ幅は大きいが…


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
横浜アリーナを熱気で包んだ初音ミク

ライブはやっぱり面白い
 音楽取材の現場を離れ、1年ぶりに戻ってきたとき、「やっぱりいいなあ」と思ったことがあります。それは日常の雑事を忘れ、音に身をゆだねることができるライブです。開演10分前ぐらいになると、客席はざわざわし始め、拍手が起こったり、ミュージシャンの名前を叫んだり…。その日の主役があと少しで自分たちの目の前に現れるというワクワク感や期待感は「幸福な空気」となって会場を包みます。

 もちろん仕事ですから、必ずしも自分の好きなミュージシャンのライブばかりを見るわけではありません。でも、どの会場にもこの幸福な空気はあって、その場に身を置くだけでハッピーな気分になれます。それに自分の趣味だったらたぶん見に行かないだろうなというライブにも仕事だから行きますし、自分の中で閉ざされていた興味や好奇心に火が付くような体験をしたことは1度や2度ではありません。
 最近見たライブの中で、振れ幅が一番大きいという意味で面白かったのは、初音ミクとトニー・ベネットです。
 初音ミクのライブは横浜アリーナでありました。「いいなあ、うらやましい」と思った人はこの先を読み飛ばしてください。「?」が浮かんだ人のために少し説明しますと、初音ミクというのは青緑色のツインテールのキャラクターで有名な音声合成ソフト。声優の声をもとに作られたボーカル音源があって、コンピューターで歌詞や音階などを入力すると、初音ミクが“歌う”わけです。それを使って(ミクに歌ってもらって)、さまざまなクリエーターたちが楽曲を制作し、インターネットで発表しています。オジサンたち、ここまでついてきてます?
 ここからが本題です。その初音ミクの楽曲が、横浜アリーナという巨大な現実空間で、ライブで演奏されました。ボーカルはもちろんミクで、立体的な映像としてステージに出現し、大いに歌って踊りました。バックバンドは演奏技術にたけた生身の人間が務め、観客ももちろん生身の人間です。バンドや観客の熱気が会場に充満していく中、ミクの声だけが無機質に響きます。初めは少し抵抗感があったのですが、徐々に慣れると同時に、どんどん興味が湧いてきました。
 それは異質な空間に対してではなく、楽曲そのものに対してでした。演奏された楽曲は高度で複雑なものが多く、純粋に耳が引っ張られました。生身の歌手が歌う場合は、その人の得意な音域を考慮して曲を作る必要がありますが、ミクの場合はその必要がなく、より自由な曲作りができるのでしょう。ライブが終わった後で何人かのファンの人たちに話を聞きましたが、「曲がいい」「同じ声でいろんなタイプの曲を楽しめる」と楽曲そのものの良さを指摘する声が多く、「なるほどなあ」と思いました。
 対するトニー・ベネットは自分の体を楽器にして、半世紀以上にわたって歌ってきた米ポピュラー音楽界を代表する大御所です。御年87歳。東京国際フォーラムで開催された東京JAZZのステージに上がり、ジャズのスタンダード曲のほか、自身の代表曲『霧のサンフランシスコ』などを豊かな声量で披露しました。
 ステージでの風格や、会場の雰囲気を和らげるユーモア…。一朝一夕には醸し出せない存在感に脱帽しましたが、特筆すべきは歌の「間」でした。譜面には落とせないような、ちょっとした「ため」や歌に入る絶妙なタイミングは、数々のステージを経験してきたことで生まれた円熟味でしょう。CDとは違う、ライブならではの醍醐味がありました。
 この対極にあるような2つのライブ。どちらがいいと言うつもりはありません。個人的にはトニー・ベネットのライブに親しみを感じるところはありますが、面白さでは比較できません。どちらもこの時代に生きる私たちが享受できる音楽文化ですし、頭を柔らかくし、心を解放すれば、まだまだ自分の知らない世界が広がっていくとあらためて感じました。
 もっとも、初音ミクのライブ会場で会った多くの若い人たちは、そんなことをわざわざ頭で考えるまでもなく、「いいものはいい」と普通に感じ、ミクの楽曲とロックやJポップを雑多に聴いているわけですが…。自分の感受性の衰えを嘆く今日この頃です。(不破浩一郎・共同通信文化部記者)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不破浩一郎のプロフィル
 ふわ・こういちいろう 1999年入社。2008年秋から音楽(ポップス)担当。1年間のブランクをへて、13年夏に復帰しました。
(共同通信)