本土復帰後の1972年10月、米国防総省が沖縄の米海兵隊基地を米本国に統合する案を検討していたことが、オーストラリア外務省の公文書で9日までに明らかとなった。米国務省も73年1月に「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示している。
一方で、直後の日米安全保障条約運用会議(73年7月)で防衛庁は海兵隊の維持を米側に要求。米側の海兵隊撤退の動きを日本政府が引き留めたことで、在沖海兵隊基地返還の機会を逸していた可能性が高まった。
豪外務省の公文書は沖縄国際大の野添文彬講師(国際政治学)が現地で発見した。72年10月の公電で米国防総省政治軍事問題局のロバート・マクロム氏は同省専門官らの分析を基に「沖縄の二つの海兵旅団に加え、ハワイや日本など太平洋のすべての海兵隊をカリフォルニア州サンディエゴに統合することが相当安く、有効だろう」と考察している。
米国民間団体「国家安全保障文書館」が情報公開請求で得た73年1月のメモで米国務省は在沖海兵隊について「使用される航空機が人の多く住む地域を低く飛び、目立った騒動を引き起こす」として「普天間は明らかに政治的負債だ」と断じている。5月には米国務省が在沖海兵隊の韓国移転案を構想し、豪州のほか韓国や日本に送付していることも明らかになった。
9日の沖縄法政学会で講演した野添氏は、復帰後の米側による海兵隊撤退論について、(1)沖縄での基地への不満(2)ベトナム戦争の財政負担拡大(3)東アジアの緊張緩和―が背景にあったことを説明。「緊張緩和が進展した時期でも、日本政府は米国に依存せざるを得ないという極めて硬直的な思考しかなかった。米国に頼る以外に安全保障上のオルタナティブ(代案)を模索する動きがなかったことが米軍基地が縮小がしなかった大きな原因だ」と指摘した。