【島人の目】16代大統領エブラハム・リンカーン


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 日本からの客人が来訪すると、米ワシントンDCの人気観光スポット「リンカーン記念館」を案内し、壁に掲げられているあの有名な「人民による人民のための人民の政治」の名文を紹介するのを定番にしていた。

 ことし上映されたスピルバーグ監督の「リンカーン」はわが街リッチモンドもロケ地になったこと、そして教え子がエキストラとして出演しているという理由で興味津々で見に行った。
 その映画はリンカーンの功績である「奴隷解放」をテーマにし、奴隷制廃止を規定した米国合衆国憲法修正第13条が下院で可決されていくまでの過程や駆け引きなどをドラマチックに描いていたが、果たして「奴隷解放の父」と言われているリンカーンは真に人権主義者の立場から奴隷制の廃止を訴えていたのだろうかと疑問が残った。
 62万人もの戦死者を出した南北戦争は、奴隷制廃止のために北と南が戦ったとは到底思えない。アングロサクソン系のアメリカ人はそれほどナイーブではないはずだと。
 当時は近代化が進み、工業中心の北部と奴隷制が必要な農業経済の南部との間では国の体制や自治権の違いが溝になり、南部は合衆国脱退の機運を見せていた。北部は奴隷制度廃止を打ち出すことによって奴隷貿易に反対するヨーロッパの世論に訴え、欧州の南部支援をけん制するための大義名分にして戦争に勝って、南部を再統一したい思惑があった。
 それを裏付けるリンカーンの1862年の書簡には「この戦争における私の至上の目的は連邦を救うこと。奴隷制度を救うことでも、滅ぼすことでもない。もし、奴隷は一人も自由にせずに連邦を救うことができるものならば私はそうする」とある。
 また、リンカーンが白人と黒人が平等であるとは見てなかったことを証明する文献があり、それには「これまで私は黒人が投票権を持ったり、陪審員になったりすることに賛成したことは一度もない。彼らが代議士になったり白人と結婚できたりするようにすることに反対だ。白人の優位性を疑ったことはない」との発言が載っている。
 一方でリンカーンは鉄道拡張のためインディアンの土地を取り上げ、インディアン部族の徹底排除の方針で大量虐殺を指揮している。例を挙げると64年にリンカーンはナバホ族8500人をアパッチ族の強制収容所へ483キロを徒歩で移動するよう命じ数百人の死者を出した。インディアンの暴動に武力で鎮圧し、女、子どもも関係ない皆殺し作戦をも黙認し、多くのインディアンが犠牲になっていった。
 今日、リンカーンは黒人やインディアンにとっては人種偏見の白人至上主義者と見られている。実際のところ、あの名演説の真相は「白人による白人のための白人の政治」であった訳だ。
(鈴木多美子、米バージニア通信員)