【ブラジル】サッカー選手から転身 鉄鋼大手の通訳に


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ブラジルの鉄鋼業界で通訳として活躍する那覇市小禄出身の照屋洋典さん

照屋洋典さん(36)那覇市出身
夜間大学で学び卒業

 1958年、日伯経済協力のシンボル、製鉄会社「ウジミナス」がブラジルのミナス・ジェライス州に誕生した。日本最大手鉄鋼メーカー「新日鉄」(現・新日鉄住金)の技術支援により、南米で業界最大級の規模にまで成長を遂げた伝統ある会社だ。那覇市小禄出身の照屋洋典(ようすけ)さん(36)は、その新日鉄住金のブラジル事業所「南米新日鉄住金」で通訳として活躍している。

 照屋さんは、高校卒業後の95年、プロサッカー選手を目指して渡伯。練習生としてサンパウロ州のチームに所属した。ポルトガル語が全く話せない中、チームメートともコミュニケーションが取れず、パスを回してもらえなかったことも。それでも約5年の間に国内計6チームに所属、強豪選手に交じって練習に明け暮れる日々を送った。
 2000年、ミナス州の州都ベロ・オリゾンテが本拠地のチームを最後に引退。地元貿易会社に就職し、プロポリスを日本に輸出する傍ら、夜は大学に通い、5年かけて卒業した。08年に南米新日鉄住金に通訳として転職。予算や経営企画などの重要案件について、日本から派遣された駐在員とウジミナス側関係者の戦略会議などで日伯鉄鋼業界の橋渡し役として駆け回る。
 仕事を離れると、ベロ在住の日本人で構成されたサッカーチームのキャプテンという顔を持つ。「やれるところまでやった」と納得し、選手生活に終止符を打ったが、サッカーに対する情熱はブラジルに来た当初と変わらない。ブラジルのサッカーについて「規律にとらわれ過ぎず、個人プレーを尊重する」と評価。将来は沖縄で「ブラジル流」を子どもたちに教え、ワールドクラスの選手を育て上げることが夢だ。
 渡伯して18年。苦しい時期も過ごしたが「今は全てが財産。周りの方々に恵まれ、ここまでやってこられた」と表情を引き締めた。
 妻亜夕美(あゆみ)さん(33)と2人暮らし。(安原安紀子通信員)