【母として・異国で生きる県系人】豊子・シャードさん 那覇市出身


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
豊子・シャードさん

沖縄でのもてなしに感激
 人生幾つも波乱がありながらそれを苦労と思わず前向きに生きている沖縄県出身の女性たちの話は、時として胸が熱くなり感動がある。砂漠のオアシスのような優しさでたくましく生きてきた母親たちとラスベガスでも会うことができた。その一人、豊子・シャードさん(73)(旧姓・伊野波、那覇市出身)は、軍属の夫と1964年に結婚し夫の転勤でハワイ、沖縄、カリフォルニアと移動し、その間、1女2男に恵まれ、86年にラスベガスに落ち着いた。

 56歳の時、夫ががんで他界。55歳の早過ぎる死だった。亡くなる2カ月前、点滴を打ちながら病床にあった夫は、残される豊子さんのために修理不要な新車を購入し、家のローンの支払いを済ませ、全ての保険などについての書類や帳簿が一目瞭然で分かるようにした。豊子さんは「夫は私が困らないようにしてくれた。無口な夫だったが、1年に1度沖縄に帰してくれたり、優しい人だった。あんな旦那さんいないと人に言われる」とおのろけも。
 年金がまだもらえない年齢だったので夫亡き後、働きに出た豊子さんを子どもたちが何かと気遣ってくれた。3人は学童期のころから成績優秀で、IQが高いと評価された。豊子さんは「自分は英語が達者でなく、言葉に苦労したが、子どもたちは、それぞれ人に迷惑を掛けず素直に育ったのが何よりうれしい」と笑顔を見せる。
 ワシントン州シアトル在の長男・ウィーンさん(43)は、マーケティングのマネージメントをしている。妻はジェラードの店を経営し、3人の子どもがいる。次男のスコットさん(42)は、ラスベガスの大手映画製作配給会社MGMに勤め、子どもが1人いる。
 長女・クリスティーンさん(48)は、誰もが認めるすてきな女性だが、実は「重症筋無力症」という、自己免疫疾患の難病を患っている。この病気にかかると神経からの刺激が筋肉の細胞に伝わり難く、筋肉が弱くなり力が入らず、脱力感などの症状がある。結婚後に発症したクリスティーンさんは離婚を余儀なくされた。「娘は病気でありながら、調子のいい時はボランティア活動を積極的に行っている。そんな時は誰も娘が病気だとは思わないほど明るく振る舞っている」と語る。
 70歳まで働いた豊子さんは、今は県人会の活動を楽しんでいる。2年前のウチナーンチュ大会に子や孫の総勢8人で参加した。「国際通りをパレードした時、沿道の『お帰りなさい』の温かい声に皆感激した」と話す。
 沖縄のめいがラスベガスを訪問した際、次男宅で歓迎パーティーをしたが、遠く離れて暮らしている長男が飛行機で2時間以上もかけて参加し、皆を喜ばせた。「沖縄でのおもてなしに感激した子どもや孫たちは感謝の気持ちを忘れず、沖縄を誇りに思っている」と豊子さん。「ずっといい人生を歩んでこられた。私が死んだ時はパーティーをして笑って見送ってほしいと子どもたちに言っている」と屈託のない笑顔を見せた。
(鈴木多美子通信員)