【島人の目】酔い心地


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 僕は酒が好きである。イタリアに住むようになってからは特にワインが好きになった。そのワインを飲むとき、飲み仲間がイタリア人なら僕はほとんど酔わない。
 イタリア人は酒に酔わない。酔うことを忌み嫌う。一般におおらかで明るい彼らは酔っぱらいにも寛大そうに見えるが、現実はまったく逆だ。そのためイタリア人と酒席を共にするときは、僕は彼らに嫌われないように意識して酒にだらしない自分を律しようと緊張しまくる。だから酔わない。
 ところが、相手が日本人だと同量の酒で僕はあっという間に酔っぱらってしまう。日本人同士で飲むときは、たとえ酔っても許してもらえるという安心感というか、甘えがどこかにある。だから一気に酔っぱらってしまう。飲んべえのずるさやだらしなさを棚に上げてあえて言えば、酒とは心のありようが大きくかかわる実にデリケートな代物である。
 それでは緊張しながら飲むイタリアの酒はつまらないかというと、そんなことはない。酔っぱらってはいけない、と自分に言いきかせながら飲むときには、酔いに一方的に身をまかせられない分、酒そのものの味を見極めようとする気持ちが自然に働く。つまり、ただ酔うのではなく、ワインを楽しもうとする飲み方になる。
 で、僕はそうやってワインの味を楽しんでいるうちに、やがて元の木阿弥の「日本風のいつものヨッパライ」になって、今夜もイタリアの友人たちのヒンシュクを買う羽目に陥ったりもするのである。
 (仲宗根雅則、イタリア在住・TVディレクター)