「チャイナ陣地」米軍の対中国物資売却拠点と判明


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「チャイナ陣地」と推定される範囲

 終戦直後に勝連半島や那覇市首里石嶺町にあった当時の中国国民党(中華民国)の陣地(通称・チャイナ陣地)が、米軍が中国に物資を売却する拠点だったことが、日本女子大の高橋順子助教、普天間中の森岡稔教諭、県知事公室地域安全政策課の波照間陽(しの)研究員の共同研究で分かった。

武器を除く車両や建築資材などが供給され、共産党と内戦中だった国民党を支援する目的だったとみられる。3月に日本女子大の人間社会研究科紀要で発表した。
 チャイナ陣地は地域史や新聞などで存在が記録されてきたが、実態を分析した研究は初めて。森岡教諭が与勝第二中に勤務していたころ、地域住民から聞き取りした。高橋助教が歴史的背景を分析し、波照間研究員が米公文書を調べた。
 周辺住民の証言や地域史の記録などによると、勝連半島の同陣地は1947年8月から49年6月まで、平敷屋や安勢理を中心とした地域にあった。46年8月30日に米中で結ばれた「中国に対する余剰資産一括売却に関する協定」に基づき設置され、中国人や米国人らが作業に従事した。
 米国は当時、国民党を軍事、経済の両面で支援していた。ただ同協定は軍需品を除外しており、背景に共産党からの批判や、国民党が軍事力に余裕があったことなどがあるという。紀要は協定以外の外交文書を分析した結果をまとめたが、波照間さんは「その後、米国のサイトで協定を見つけたので、今後の聞き取りと併せて研究を進めたい」と話している。