【島人の目】巨大な足跡


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 先日、バチカン大聖堂前広場で第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の列聖式が行われた。列聖とは、キリスト教において信仰の模範となるような高い徳を備えた信者を、その死後に聖者の地位に叙すること。僕はキリスト教徒ではないが、ヨハネ・パウロ2世の聖人昇格を心から喜ぶ者である。

 2005年に亡くなった教皇は、単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず政治的にも道徳的にも巨大な足跡を世界に残した人物だった。彼はキリスト教徒と敵対してきたユダヤ教徒やイスラム教徒、あるいは東方正教会などにも対話を呼び掛けては和解を模索した。“空飛ぶ教皇”とも呼ばれた男はまた、病の中にあっても世界各地に足を運び続けて貧困などにあえぐ弱者に手を差し伸べ、慈しみ、支え、人々のために生きた。同時に自らの出身地である東欧の人々に「勇気を持て」と諭して、ついにはベルリンの壁を崩壊させた。
 バチカンもキリスト教徒も過去には多くの間違いを犯し、今もたくさんの問題を抱えている。ヨハネ・パウロ2世はそれらの負の遺産を認め、謝罪し、改善しようと多大な努力をした。そうした事績と彼の人徳が広く認められて、教皇は亡くなって間もない異例の早さで聖人に列せられた。
 しかし、実は、イタリアに住んで彼の仕事を長く目の当たりにしてきた僕の中では、教皇は生前から既に聖人の域に達している偉大な存在だった。列聖式はそれを追認する祝典にすぎない。
 ところで、清貧と謙虚と克己を武器にバチカンの改革を推し進めている現フランシスコ教皇も、ヨハネ・パウロ2世に似た聖職者であるように見える。頼もしい限りである。
(仲宗根雅則、TVディレクター)