ローカル局発の熱いドキュメンタリー映画 日本初の「記憶遺産」炭鉱絵師


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「記憶遺産」に登録された山本作兵衛の炭鉱記録画。(C)RKB

 2011年に日本で初めてユネスコの「記憶遺産」に登録された炭鉱絵師、山本作兵衛さんの記録画。恥ずかしながらその時のニュースで初めて絵を見て、とても強い印象を受けた。そんな作兵衛さんを追ったドキュメンタリー映画『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』が公開されたというので、拝見させてもらった。

製作は作兵衛さんが生まれた福岡県の放送局RKB毎日放送。残念ながら全国どこでも見られるわけではなく、既に終了した東京のほか、福岡、札幌、名古屋、横浜、福島、大阪で上映。作兵衛さんの人物像や絵の背景に迫った力作で、より多くの人が足を運べる機会があったらいいのにと思う作品だった。
 1892年に生まれた作兵衛さん。福岡・筑豊の炭鉱で約50年働いた後、60歳を過ぎてから炭鉱の生活を詳細な絵と文章で残し続けた。1984年に92歳で亡くなった。
絵は一度見たら忘れられない。暗く細い坑道で、わずかな明かりに照らされた上半身裸の男女が身をかがめて石炭を掘る様子や、母の後に続いて幼い子どもを背負った少年がカンテラを手に入坑する様子など。絵の脇に丁寧にびっしり書かれた文字とともに、炭鉱の仕事や生活を克明に記録している。根気がいるだろう緻密さと画面の迫力で、そんな絵を残した作兵衛さんはどんな人だったんだろうと気になっていた。
 映画は、「メモ魔」だったという几帳面な横顔や、何度も同じ構図の絵を描いたという経緯、女性の描き方についての思いなど、親族や関係者へのインタビューなどを通じて作兵衛さんを追っていく。意外な場所に残されたメモに親族も驚いたり、地元放送局ならではの生前の作兵衛さんの映像からは人情味あふれるほほえましい一面を感じたり。炭鉱で働いていたというおばあちゃんへのインタビュー映像は、作兵衛さんの絵と重なって、当時の様子が思い浮かぶ気がした。ほかにも、北海道・釧路やベトナムの炭鉱で取材した映像も盛り込まれ、炭鉱の歴史も伝える内容だ。
 「作兵衛さんは地域の宝であり、発信することが地元ローカル局の使命のように思えた」と話すのは、映画のプロデューサーを務めたRKBの大村由紀子さん。映画のもとになったのは、大村さんが作兵衛さんをテーマに作ったドキュメンタリー番組で、昨年7月に関東や関西など一部の地区で放送された。その制作段階から映画を念頭に置いていたという。地方の放送局が、地域や時間に限定されずに広く発信する手段の一つが映画化で、大村さんは「地元に軸足を置いてずっと作兵衛さんを撮り続けてきた。私たちが伝えなくてどうする」と力強い。さらに多くの人に見てもらいたいと、海外への番組販売用に英語版も作ったそうだ。
 ローカルの放送局が作る番組は、全国放送にでもならなければ他地域の人の目に触れる機会がない。筆者は九州出身。地元放送局の番組に慣れ親しんでいて、たまに帰省した時は楽しみに見ている。地元でしか見られない出演者や、ローカル色満載の内容にほっとすることもある。そこで暮らしている人だからこそ分かる面白さや感覚もあるけれど、地元事情に疎くなった今でも、地方局ならではの熱さやゆるさみたいなものは結構心地いい。
 話はそれたが、今回の作兵衛さんの映画には、大村プロデューサーの言葉通り、地方発で伝えるという気持ちがあふれている。筆者は放送された番組は見逃してしまったので、映画にならなければこの作品を見ることはできなかった。関心のある人もない人も、まずは触れられる機会があってこそ。映画に限らず、いろんな情報に触れるには大都市でないと難しい側面もあるけれど、いいものは広く伝わってほしいなと思う。(山口晶子・共同通信記者)
(共同通信)

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山口晶子のプロフィル
 やまぐち・あきこ 長崎県出身。2005年入社。文化部で放送担当に仲間入りしてから半年。見るもの聞くもの新鮮だなあとのんきなことも言っていられないと思うこの頃です。