アジア・太平洋戦争中に米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈した「対馬丸」の悲劇を伝える対馬丸記念館(那覇市若狭、宮城清志館長)を利用する県内小中学校が少ないことが同館の課題になっている。記念館が主な対象としているのは、対馬丸で犠牲になった学童と同年代の子どもたちだが、2013年度に利用した那覇市内の小中学校は全53校中、小学校8校、中学校2校の計549人にとどまる。記念館は「県内の多くの小中学生も実際に見て学んでほしい」と見学を呼び掛けている。
国内でも珍しい「戦争と子ども」にテーマを絞った対馬丸記念館は、22日、開館10年を迎えた。10年間で来館した人は15万3946人(14年8月1日現在)。夢や可能性を持つ子どもたちが戦争になれば最も犠牲になることや、悲しみを希望に変え平和をつくることを訴えてきた。
13年度は6人の語り部による講話は小学校9校、中学校1校で行われている。だが、対馬丸記念館は「ここでしか見られない資料もある。面積も広すぎず、テーマも絞られており、学校の平和学習でも利用しやすいと思う」と利用を呼び掛ける。
13年度からは那覇市教育委員会と共催で、市内小中学校の平和教育担当教師向けの研修会を始めた。対馬丸記念会の高良政勝理事長は「即効性はないかもしれないが、対馬丸や沖縄戦全体に対する認識が深まっていくのではないか」と期待する。
記念館建設は1997年にさかのぼる。この年の12月、鹿児島県悪石島近海に沈む対馬丸が発見された。遺族会は国に船体の引き揚げを求めたが、船が老朽化していることから不可能との結論に。しかし、「子どもたちを海の底にそのままにしておくわけにはいかない」という遺族の思いをくみ取る形で、国の慰謝事業として04年に建設された。
生存者や遺族にとって記念館の存在は大きい。沖縄戦トラウマに詳しい精神科医の蟻塚亮二さんは、対馬丸記念館の意義について「対馬丸の生存者は幼い時に壮絶な体験をした上に、かん口令の影響で心に負った傷は深い」と説明。「まだ語れない生存者もいるだろう。その人たちにとって自分の体験を語っていい、受け止めてもらえる場所があるという意味で記念館の存在意義は大きい」と強調した。(玉城江梨子)