ああ、消えゆく名画座 新橋文化劇場・ロマン劇場も閉館


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閉館を前にした新橋文化劇場・ロマン劇場

 近年、新たに映画館ができるといえばシネコン(複合映画館)だ。発券機や売店の並ぶ広いロビー、スクリーンは10前後もある。席の座り心地もよく、映像・音響設備もいい。

 その一方で、古くからあある映画館の多くは、リニューアルすることもなく姿を消していく。東京の“サラリーマンの街”新橋でも、半世紀を超える歴史のある映画館が8月末に閉館した。東海道線や山手線などが走る高架下にある新橋文化劇場・ロマン劇場。それぞれ客席81の小さな映画館だ。
 2~3本の上映で、1週間で作品を替えていく。現在では多くの映画館が毎回の入れ替え制、座席指定だが、ここは途中入場可で何回見てもかまわない。長谷川修の小説『舞踏会の手帖』に、主人公の青年がフランスの名監督デュビビエの同名映画を4日続けて計13回ほど見る話がある。入れ替えなしの映画館がどれほど残っているか知らないが、そのうち長谷川の小説に「この時代は映画館に入れ替え制はなかった」との注釈が必要になるかもしれない。
 閉館まであと2週間足らずの文化劇場にお別れに行ってきた。仕事の都合で、入館したときは上映が始まって1時間ほど経過していた。暗い館内で目を凝らすと、ウイークデーだというのに立ち見がいる。空き席を見つけて座った。もちろん座り心地は快適とは言えない。時折、ガタゴトと電車の通る音が響く。スクリーンに集中しているとガタゴトは聞こえないから、ガタゴトが聞こえた回数で作品を採点することもできるのだ。
 この日の上映作品は、酒とドラッグに溺れる若者たちの投げやりな青春を描いた『ウィズネイルと僕』(ブルース・ロビンソン監督、1987年)と、ピーター・フォークとジョン・カサベテスの2人でほぼ全編が進行する『マイキー&ニッキー』(エレイン・メイ監督、76年)。バディ映画の2本立てだ。最終週の作品は『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督、76年)と『デス・プルーフinグラインドハウス』(クエンティン・タランティーノ監督、2007年)。「この劇場らしく、男くさい映画で終わりに」(副支配人)との思いがあったという。
 シネコンで見た映画は、作品の記憶はあっても、どこで見たかは記憶に残らないのではないか。だが、個性的な映画館は、映画の記憶と深く結びついている。
 自由が丘劇場には土曜の午後、中学校の帰りに洋画3本立てを見に行った。ピンク映画の文化会館は、京都御所と名門高校の横という刺激的な場所にあった。予備校時代に御所でキャッチボールをしていたら雨が降り、慌てて駆け込んだら上映していたのが『胎児が密猟する時』で、若松孝二監督の名前を初めて知った。京一会館にはオールナイト上映に。たばこの煙が立ち込める中で(高倉)健さんになりきった顔をしてやくざ映画に見入った。こうした思い出の映画館は、いずれもずいぶん前に取り壊されてしまった。
 新橋文化劇場とロマン劇場は解体作業が始まり、ポスター類ははがされてしまった。年月を経て、風景のすっかり変わったこの場所に立てば、カルトムービーとして知られるトッド・ブラウニング監督『フリークス』に出合った衝撃を思い出すだろう。その日の朝に見てきたNHKの連続テレビ小説『花子とアン』で農村の貧しい老人を演じていた石橋蓮司が、女たらしのワルでベッドシーンに奮闘している日活ロマンポルノを見て何とも複雑な思いをしたことなども。(石森洋・共同通信エンタメ編集デスク)
(共同通信)
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石森洋のプロフィル
 いしもり・ひろし 1947年、東京生まれ。文化部で論壇、放送、映画を担当。現在はネット向けの「新刊レビュー」「花まるシネマ」などの編集を担当している。