「戻る道」つながる遺構確認 国頭村宜名真「イラフ道」


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石積みが確認された「イラフ道」=19日、国頭村宜名真

 【国頭】交通の難所として知られた国頭村宜名真の「戻る道」につながる石積みの旧道「イラフ道」、爆薬の保管庫とみられる小屋が確認された。村史編さん委員会の宮城樹正副委員長、村教育委員会の赤嶺信哉学芸員が19日、調査状況を村に報告した。

戻る道の成り立ちや関連する歴史などを今に伝えるもので、宮城さんらは村の重要な遺構として、イラフ道の調査をさらに進める考えだ。
 戻る道は宜名真と辺戸を結ぶ岩山の裂け目「門道」(ジョーミチ)を通る約100メートルの険しい道で、途中、人と擦れ違うことができずに戻らなければならないことから名付けられた。1913年、門道を開削して道を広げる工事を主導した辺戸尋常小学校の当山正堅校長の功績が知られている。
 ただ、宜名真集落から戻る道につながる村道宜名真・辺戸線も同時に工事されたと思われていることから宮城さんらは調査を開始した。資料などから37年に土木建築技師の上島四郎さんによる工事で門道がさらに広がったことが分かり、同時期に村道となる道が整備されたことで「旧道が忘れ去られてしまった」(宮城さん)と推察した。
 宜名真区民から聞き取りした宜名真トンネル海側の脇道から入る旧道を調べ、生い茂った草の下に幅2・5メートルの石積みの道を確認した。門道と同様に岩を削った場所があり、途中の分かれ道の先には戻る道の門道破砕に使った爆薬の保管庫とみられる「発破屋」も残っていた。
 イラフ道の名はこれまでも知られていたが、石積みの道があることや造られた年代などは伝わっていなかったという。宮城さんは「イラフ道は海を望むとてもきれいな道。これからもっと詳しく調べないといけない」と語った。