ろうあ者の野球チーム復活 体育大会に県勢初出場


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守備が終わり、ベンチに戻る投手の高良昌莉さん(右)と捕手の高木伸英さん=27日、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇

 沖縄でろうあ者の野球を復活させたい―。一人の青年の真剣な思いが数十年ぶりのチーム結成につながった。27日に那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で行われた第48回全国ろうあ者体育大会in沖縄の野球で沖縄のチームが初出場した。勝利は逃したが、強豪チームと堂々と戦う姿に大きな拍手が送られた。

 チームを結成したのは高良昌莉(しょうり)さん(20)=豊見城市。生まれつき耳が不自由だが、少年野球の監督をしていた父昌栄さん(51)の影響を受け、5歳から健常児に交じって野球を始めた。沖縄ろう学校高等部3年のころ、沖縄で全国大会が開かれると知り、チームづくりを決意。同校の卒業生を中心に声を掛けた。
 投手でもある高良さんがチームづくりの要にしたのが、バッテリーを組む捕手。白羽の矢を立てたのは5年前から知り合いの高木伸英さん(24)=神奈川県。「沖縄でろうあ者の野球を復活させたい。そのためにはあなたが必要」。高木さんは日本代表チームでプレーする実力の持ち主。未経験者もいる、レベルが全く違うチームだが、高良さんの熱い思いに打たれて快諾した。
 最初は月1回、9月に入ってからは月2回、練習のため沖縄に通った。金曜日に仕事を終えると深夜の飛行機に乗り、土日に那覇で練習。そして東京に帰ったことも。飛行機代は全額自腹だ。
 練習では技術的なことだけでなく、精神的にも高良さんを支えた。「ストレートで134キロが出せる選手はなかなかいない。自分の投球に自信を持て」。高良さんに言い続けた。
 試合は大会2連覇中の東京に1―9で敗れたが、途中までは互角の戦い。高良さんは「悔しいけど、最後まで諦めずに頑張れたのがよかった。もっと練習して来年も出たい」と意気込む。高木さんは「雰囲気も最高のチーム。今後も誘われたらもちろんチームに加わりたい」と約束した。
 観客席にはかつて野球をしていた聴覚障がい者の姿も。牧志宗八郎さん(71)、山内盛治さん(68)は「私たちのころと比べられないほど、レベルが上がっている。130キロも出るのはすごい」と目を細めて見守った。(玉城江梨子)