「平和発信、私たちが」 3世代で戦時体験たどる


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轟の壕を訪れた、語り部・山里和枝さんの長女上地京子さんら3世代=9月30日、糸満市伊敷

 沖縄戦体験者で語り部として活動している山里和枝さん(87)=浦添市=の長女・上地京子さん(64)と孫の翁長奈美さん(39)、ひ孫の海斗君(12)、温史(あつし)ちゃん(5)の4人がこのほど、糸満市伊敷の轟の壕を訪れ、山里さんの戦時体験をたどった。山里さんは病気療養中のため、「島守の会」の島袋愛子さんが案内した。

沖縄戦当時、約千人が避難していたと言われる壕に初めて入った子、孫、ひ孫の3世代。「体験者が高齢化する中で、私たちが語り継がなければ」と思いを強くした。
 「おばあちゃんが沖縄戦当時、身を隠した壕を訪れ追体験しよう」。壕を訪れたのは海斗君が学校で平和学習に取り組んでいることがきっかけだった。
 山里さんは、県庁警察部の職員として当時の島田叡(あきら)県知事らと行動を共にし、1945年6月上旬に轟の壕に避難した。壕内には地元の人をはじめ警察や県庁関係者、日本兵ら約千人がひしめき合っていたという。山里さんは、日本兵が取り上げた黒糖を取り返そうと壕内で泣きじゃくる幼い男の子が、日本兵に撃ち殺される場面に居合わせた。2000年、投降から55年ぶりに壕を訪れ「壕内であった出来事を多くの人に伝えたい」と語り部として活動を始めた。
 母について娘の上地さんは「(語り部を)使命感でやっている。同じ壕にいて命を落とした人も多くいたのに本人は無傷だった。今でも『もっと伝えたいことがたくさんある』と言っている。伝えるために生かされたのではないかと話していた」と述べた。 
 孫の翁長さんは「祖母が沖縄戦を生き延びて、自分たちが今生きていることを実感した」と述べた。ひ孫の海斗君は母親らの話に耳を傾け「悲しいね」と一言述べた。
 上地さんは「母と何度も『一度は一緒に壕に行こうね』と話していたのに何十年もたってしまった。孫と一緒に来るという小さなことから始めて平和の大事さを発信していかないといけない」と語った。(知花亜美)