【宜野座】戦中・戦後、宜野座村内の収容所で亡くなった人を埋葬するために、村内に造られた共同墓地に関し、詳細を解明する本格的な調査が始まっている。同共同墓地については正確な位置も含め、詳しく分かっていない。
調査は宜野座村立博物館が沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(具志堅隆松代表)の遺骨収集作業と連携し進めている。具志堅代表によると、公的機関による戦跡の記録調査と遺骨収集作業の連携は異例。戦後69年を経て戦争体験者が減る中、今後の戦跡調査や遺骨収集の新たな試みとして期待を集めている。具志堅代表は「考古学的な助言を基に公の資料として残すことができる。博物館との連携は理想の形だ」と話した。
宜野座村には戦後、県内各地から米軍に保護されるなどして連れて来られた人たちが生活する収容所が多く建設された。そこで亡くなった人を埋葬するために、村内に9カ所の共同墓地が造られた。聞き取り調査で各墓地の大まかな場所は分かっているが、建設工事などの際に判明した2カ所の墓地を除いては、正確な位置は判明しておらず、遺骨収集作業も進んでいない。そのため、多くの遺骨がその場に眠ったままだ。
調査は、博物館などの聞き取り調査を基に試掘をして墓地の位置を定め、墓地や遺骨の正確な記録を残しながら遺骨収集を進めていく。墓地の断面を測量した記録などはガマフヤーに提供し遺骨収集に活用する。
聞き取り調査で大まかな場所は分かっていた村惣慶の「スンブク原共同墓地」では、ガマフヤーの収集作業で墓石が発見され、正確な位置が分かった。9日は墓石が見つかった付近を約10平方メートルの範囲で学芸員らが調査した。かまぼこ状に盛られた土の断面や周辺を整地し、写真に撮って記録した。
村教育委員会文化財担当の田里一寿主任は「埋葬された人がどのような最期を遂げたかを知り、後世に伝えるためにも掘削前に記録を取ることが重要だ。調査と遺骨収集の連携は共同墓地の詳細解明にもつながる画期的な取り組みだ」と話した。具志堅代表は「記録調査と遺骨収集の連携が、シュワブ内の埋葬地など他の場所での収集にも広がってほしい」と期待した。
(田吹遥子)