「戦争、全てを破壊」 県系2世の元米兵、非戦の思い訴え


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米兵通訳兵としての体験を語ったハワイ移民県系2世の大城義信さん(右)と比嘉武二郎さん(左)=6日、糸満市の県平和祈念資料館

 県平和祈念資料館は6日、シンポジウム「日系二世ウチナーンチュが見た戦中、戦後」を糸満市の同館で開催した。1945年の沖縄戦に従軍し、うちなーぐちで住民に投降を呼び掛けた比嘉武二郎さん(91)、終戦後の舞鶴などでシベリアから帰還した元日本兵らを尋問した経験を持つ大城義信さん(86)がその体験を語った。

聴衆約200人を前に、ハワイ移民県系2世の比嘉さんらは「戦争は人も建物も全て破壊する。二度と繰り返されてはならない」と強調した。
 県は本年度、沖縄戦に従軍した県系、日系米国人らの体験を集録する「日系米国人版戦争体験集録事業」を実施した。シンポジウムはその一環。2人はハワイから来沖した。
 ハワイで生まれ育った大城さんは41年12月7日、真珠湾攻撃も体験した。終戦後の46年に米軍に入隊。米軍占領下の日本に米軍対敵諜報部(CIC)の通訳兵として配属されると、シベリアから帰還した元日本兵の尋問などを担った。
 47年に両親の故郷、南風原村(当時)を初めて訪れた。大城さんは「初対面だったが、祖母から気付き、私を抱きしめて喜んだ。写真で私のことを知っていたのだろう。方言が分からないため祖母の言葉にうなずくだけだったが、うれしかった」と振り返った。
 比嘉さんはハワイで生まれた後、両親の故郷・北中城村で育った。満蒙開拓青少年義勇軍の募集から逃れるため、39年にハワイに戻り、その後真珠湾攻撃を経て米軍に入隊した。
 比嘉さんは44年のフィリピン・レイテ島に駐留していた際、那覇の約9割を焼失させた10・10空襲直後の沖縄の写真を見せられた。「沖縄の親類や同級生を心配し、夢にまで出てきた」とショックを受けたという。
 沖縄に上陸後、住民に投降を呼び掛けたことを振り返り「呼び掛けは苦労したが、私は1発も銃を撃つことはなかった。もしも沖縄のために役立ったならうれしく思う。破壊する戦争は最もばかばかしいことだ」と強調した。
英文へ→Former US soldiers of Okinawan descent; war destroys all