毒ガス、1962年に沖縄搬入 公開外交文書で判明


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 外務省は15日、外交文書41冊を一般公開した。沖縄関連は9冊。県内に貯蔵されていた毒ガスについて、1962年にケネディ米大統領がマクマナラ国防長官の勧告に従い、搬入させていたことが分かった。

65年に佐藤栄作首相が初来沖した際、演説内容に米側が圧力をかけ、在沖米軍基地の意義を強調させていたことも判明。沖縄返還に当たって那覇空港から米海軍のP3B哨戒機の撤去費用を高く見積もり、日本側に支出させたことも明らかとなった。
 70年9月14日付の極秘公電によると、訪米中の中曽根康弘防衛庁長官に対し、レアード米国防長官が、62年に毒ガスを沖縄に搬入させたことを明かした。日本側の文書で確認されたのは初めて。米国は当時、ソ連に対抗するため化学兵器の開発に取り組んていた。
 レアード氏は「(62年)当時、北せん(北朝鮮)に(毒)ガスが補給されているという情報があり、これに対する抑止力としたもの」などと説明している。
 その上で、北朝鮮が保有していた兆候や情報がないため、沖縄から移動する意向を示し、移送の費用や非毒化施設の建設に大きな予算がかかることを説明。70年末までに準備を整え、71年初めからジョンストン島に移送する方針を明らかにした。ランパート高等弁務官が正式に同島への移送を発表したのは、中曽根・レア-ド会談から約4カ月後の71年1月だった。
 69年7月に知花弾薬庫で起きた毒ガス漏れ事故を米紙が報道し、沖縄に毒ガスが貯蔵されていることが発覚。米国は同年中に米本国に移送すると発表したが、米国内で住民に反対され宙に浮いた。最終的に71年1月~9月、マスタードガスや神経ガスのサリンなど1万3千トン余りの毒ガスをジョンストン島に移送した。
 沖縄の毒ガス貯蔵問題に詳しいフリーディレクターの土江真樹子氏は「沖縄の毒ガス搬入はプロジェクト112という化学兵器を使った世界的な米軍行動の一環。住民にも日本政府にも知らせず秘密裏に化学兵器が持ち込まれ、作戦の一部を担わされていた」と指摘した。(池田哲平)