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“古文書”発掘・100年前の水泳事情 エンタメ版「水泳のススメ」

100年以上前に発行された「大阪毎日新聞・日曜倶楽部・水泳号」

その11
 水泳のレッスンを受講してくれたことがある会社の先輩OGが自身の観覧車研究の資料調査でよく利用するという国会図書館。そこで「昔の水泳関係資料を見つけたから」と明治時代の新聞のコピーを送ってくれた。その新聞は明治44年(1911年)7月23日発行の「大阪毎日新聞・日曜倶楽部・水泳号」で、約100年前の日曜版特集ページ。水泳指導に関わる者にとっては当時の水泳事情を知ることができるマニアックな“古文書”。興味深い記事のほか、大阪毎日新聞社浜寺水練場教員たちの写真、高い飛び込み台上から飛び込む写真などが掲載されている。旧漢字と旧仮名遣いの読み慣れない文章で小さな活字が不鮮明な箇所もある。それでもすべての漢字にルビが振ってあるので十分に判読できた。要約はかなり大まかだが、掲載記事は次の6本。

(1)海軍に於ける遊泳(海軍中佐・西禎蔵):水泳練習は海軍教育の一つとして大いに奨励しているが、千種異様の自己流が多く、西洋人の泳ぎと比しても遜色がある。海軍軍人としてイザという場合に役立つ水泳だが、設備もなく、教師も少なく、技能に差がある兵員に対して正式に教授指導できないことは常に遺憾に思っている。

(2)武徳会の水泳(武徳会遊泳部幹事・布田天洲氏談):武徳会は琵琶湖疎水のほとりを遊水場に充て、1200~1300名の講習生を指導している。学生が多くを占めるが、近年では大部分が高等小学生である。14歳以上の健児90名で淀川を下った京都-大阪間の遠泳は思い出しても壮快だった。いずれ琵琶湖一周遠泳などもやってみたい。

(3)所謂流派なるもの(武徳会遊泳部教授・城義核氏談):わが国の水泳にはいろいろな流派があるが、要するに到達するところは同じ。人間の力で水の力に打ち勝つことはできない。水の力を利用して水に浮いたときが水泳の第一歩を得たときで、この瞬間は流派を問わず同一だろう。武徳会は武道水術の精神で、初めより秩序的に練習するから力量は好く、平均して傑出せるものもいない代わりに見劣りするものもいない。

(4)水泳雑談(外国語学校教授・本田存氏談):▼流派の打破=流派は交通不便な時代の遺物。今日では水泳の目的からも流派をうんぬんする必要はない▼水泳教師人選難=遊泳が盛んになると共に良い水泳教師がいないことに苦労している▼女子の水泳=西洋では水泳の設備(バス)があるので女子の水泳も盛ん▼避暑地の一憂=西洋では海水浴場に行って母も子供を抱いて水に入り楽しむが、日本では子供が溺れはしないかと岸で始終見張っていて楽しまない▼バスの設立を望む=今日では隅田川もだんだん汚くなる有様。衛生的で監督上も完全なるバス(筆者注:現在のプールのことらしい)が欲しい。各学校が連合すればできない相談でもないだろう。

(5)水泳教授法(日本遊泳同志会師範・井上康治氏談):各流派の長所を取って模範的遊泳術を編み出したい。世界の遊泳はイギリスとアメリカが発達している。遊泳といっても範囲は広い。まずは初心者の心得といったことから教授法を話し、最後に溺者の救助法について思うところを話す。

(6)寒中水泳:新伝流の流れを汲む水泳の達人・阪本勤吾氏は、品川沖の惨事(軍艦千歳乗組水兵の通船が転覆、厳寒の海で水兵数十名は空しく海底の藻屑になった)を見て、相談した医師や将官は危険だと反対したが、人間の体力が大寒の水中にどのくらい耐えられるものか、一命をかけ、一月の隅田川で寒中水泳の実験をした。

 記事中の「武徳会」は現在の「京都踏水会水泳学園」で発足は1896年。熊本から城義核師範を招へい、肥後細川藩発祥の「小堀流踏水術」を伝承している。水を踏む術、すなわち「立ち泳ぎ」がこの流派の基礎技術となっている。もう一つの「日本遊泳同志会」は1906年に大阪毎日新聞社(現毎日新聞大阪本社)が夏季に開校した「浜寺水練学校(愛称:ハマスイ)」で紀州藩に伝わる「能島流遊泳術」を指導している。この「ハマスイ」は現在も毎日新聞大阪本社主催で毎夏開催されている。いずれも日本のスイミングスクールの草分け的存在なので、それぞれの公式ホームページで沿革や歩みを見ると100年余の日本の水泳の歴史を知ることができる。

 日本の水泳は、肥後の小堀流踏水術、紀州の能島流遊泳術といった流派名の通り、それぞれの地域で、それぞれの特徴を持ち、独自に発展してきたことがわかる。水泳の技を習得した師範たちを水術指南に召し抱えた諸大名が藩士に奨励、その技を武芸、武道として伝えてきたであろうことは容易に推測できる。こうした日本古来の各流派の泳法から見れば、現在の競泳4種目は外来の泳法といえる。浜寺水練学校公式ホームページの「歩み」によれば「1911年(明治44年)国際競技大会で神戸外人クラブと対戦、1912年(大正元年)M・ジェームス氏(イギリス)よりクロール伝えられる」とある。本稿で紹介した新聞が発行された年とその翌年のことである。師範たちの間で、このころから外来泳法の研究が始まったであろうことは想像に難くない。

 昨年8月のパンパシフィック水泳、9月のアジア大会と競泳日本代表の活躍はめざましい。日本の水泳がここまで来るには、ルーツとなった各流派の師範に始まり、その弟子、そのまた弟子へと伝わり、時代と共に改革されてきた水泳技術の研究、指導の積み重ねがベースになっていると思う。100年余の歴史の重さと先人たちの努力や苦労が読み取れる、そんな明治時代の新聞だった。(共同通信社デジタル推進局OB・中井博行)
(共同通信)



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