琉米条約、米にも原本 「琉球は独立国」裏付け 国際的に重み 


この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社
「琉球・幕末・明治維新 沖縄特別展」で展示されている琉米修好条約の原本=28日、浦添市美術館

 【ワシントン=島袋良太本紙特派員】琉球国が1854年7月11日に米国と交わした琉米修好条約の米国側原本が、米国立公文書館に保管されていることが分かった。同館が28日までに本紙に答えた。締結から160年が過ぎた現在も条約原本が相手国である米側で保管されていたことで、米国が当時の琉球を主権のある独立国家と見ていたことを裏付ける形となった。

 琉球国は1855年にフランスとも琉仏修好条約を結んでいるが、フランスは批准しなかった。一方、今回米側での原本の存在が確認された琉米条約は、締結翌年の55年3月9日には米議会が批准し、同日に大統領によって公布されており、国際的にもより「重み」のあるものといえる。
 米国務省歴史事務所は琉球国について「現在は近代日本を構成する諸島の一つであり、沖縄の呼称で知られる」とした上で、「しかし、19世紀半ばには、琉球は日本とアジア大陸との交易に特化した、独立した王国だった」と定義している。また同省は「日本は75年に琉球に守備軍を配置し、日本政府は79年に琉球を併合した」とも説明しており、当時の琉球併合(「琉球処分」)が武力を背景に進められた経緯も示している。
 琉球側の原本については琉米、琉仏、オランダと59年に締結した琉蘭の3条約がともに74年5月に明治政府によって没収され、外務省が保管している。これら修好条約3原本は2月27日から3月29日まで、浦添市美術館で開催している「琉球・幕末・明治維新 沖縄特別展」(琉球新報社、沖縄産業計画主催、浦添市教育委員会共催)で展示されている。