さよなら「北斗星」 ようやく実現した初乗車に感無量


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北斗星の青い客車とディーゼル機関車の連結シーンを撮影する乗客たち=JR函館駅

 「さよならブルートレイン」のニュースに、日本中の鉄道ファンが悲鳴を上げたに違いない。上野と札幌を結ぶ寝台特急「北斗星」が、3月13日発、14日着の列車をもって定期運行を終えた。
 北斗星が誕生したのは、青函トンネルが開業した1988年。北海道と東京を鉄道で行き来できるという当時としては夢のような列車で、「いつか乗ってみたい」と憧れた。青い客車の通称「ブルートレイン」としては後発組だったが、先輩のブルトレたちが次々に引退し、気が付けば定期運行される最後のブルトレになった。

 2月中旬、初めて北斗星に乗車した。北斗星の旅は、乗る前に始まる。発車の約1時間前の午後6時、上野駅に着いた。待ち合わせ場所として有名な「中央改札」の近くに人だかりがあった。この人たちの目的は、北斗星の発車を案内する電光掲示板を“激写”すること。記者も何枚かパシャリ。ここまでは旅の準備体操みたいなもの。徐々にテンションが高まる。そのころには、北斗星が出発する13番ホームにも、カメラを持った人たちがたくさん集まっていた。
 午後7時3分、北斗星は定刻通りに発車した。客車列車に特有のガクンという衝撃もなく、静かに滑り出した。窓から見える上野周辺の街が、いつも普通列車から見る景色と違って見え、不思議な気分になる。列車が徐々に速度を上げると、誰もが一度は耳にしたことがあるはずの、あの懐かしいメロディーが聞こえてきた。「ハイケンスのセレナーデ」と呼ばれる楽曲で、国鉄時代に製造された客車のほとんどで、このチャイムが車内アナウンスの合図になってきた。停車する駅名を聞いていくと、これから始まる長旅への期待が高まってくる。
 記者の寝床はB寝台の2段ベッド。カプセルホテルのイメージに近く、豪華寝台特急といわれる北斗星の中では、料金が最も安くて「しょぼい」のだが、記者にとっては最もブルートレインらしい雰囲気を味わえる特等席に思えた。
最初の停車駅の大宮を出て落ち着いたころ、乗っていた先頭の11号車から、最後尾の1号車まで一通り歩いた。豪華な食堂車やA寝台にも目を奪われたが、実は一番楽しみにしていたのは1号車だ。1号車は最後尾の窓から「去りゆく景色」を眺められる事実上の展望車。たどり着いたら、乗客の誰かがセットしたと思われるビデオカメラがあり、ひたすら後ろの景色を収録しているようだった。食堂車の隣のロビーで、小学生の男児と話をした。一緒にいた母親によると、「さよなら北斗星」のニュースに男児が涙したというのだ。「新幹線は嫌い。新幹線のせいで、北斗星がなくなっちゃうんだもん」と男児。
 就寝しようとベッドに入ったが、なかなか寝付けない。車輪がレールのつなぎ目を通る際の「ガタン、ゴトン」という音がうるさいのか。いや、むしろ心地いい。ならば揺れのせいなのか。そうでもなさそうだ。後日、鉄道好き芸人として知られる中川家礼二さんが、寝台列車で寝付けない現象を「それは鉄道好きの『あるある』です」と話してくれた。要するに、遠足前夜の子どもみたいなものだとか。納得した。
 いつの間にか寝入ったが、目が覚めると静けさの中、岩手県の石鳥谷駅に止まっていた。翌朝の車内アナウンスによると、「機関車を点検した」という。だがこの遅れのおかげで、停車した盛岡駅で、偶然にも札幌から上野に向かう北斗星と“対面”できたのだ。正常ダイヤではあり得ない奇跡。同じ駅に停車したもう一つの北斗星の乗客たちが、こちらをバシャバシャ撮影している。記者も同じようにシャッターを切った。
 青函トンネルを抜けると、既に外が明るくなっていた。中学生のころに乗った青函連絡船とは違い、海を渡ったという感覚は全くなかったが、「北海道に着いたんだ」とわくわくしてきた。そのまま車窓を眺めていると、函館駅に着き、機関車が交換された。ここから先は電化されていない区間があるため、ディーゼル機関車が北斗星を引っ張る。通常は約15分、この日は20分ほど停車し、多くの乗客がホームに降りて記念撮影を楽しんだ。
 函館を出ると札幌まで雄大な景色が続く。噴火湾、有珠山、牧場…。ハイケンスのセレナーデに続き、「上野から札幌まで、およそ1200キロの旅を、お疲れさまでした」という粋な車内アナウンス。「もう終わりか。あっという間だったな」。札幌に着いても多くの乗客たちがホームにとどまり、車庫に引き上げる北斗星を温かい目で見送った。
 3月13日、上野駅を出る北斗星が大きなニュースになったが、実はまだまだ北斗星は走る。4月から8月まで週3回程度、臨時列車として上野と札幌を結ぶ。本当の「さよなら」は臨時運転が終わる8月下旬。北斗星の引退劇は、まだ始まったばかりだ。(寺尾敦史・共同通信記者)
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寺尾敦史のプロフィル
 てらお・あつし 1992年入社。子どものころは鉄道少年。鹿児島支局時代は転勤や出張にブルートレインを活用。仙台支社や盛岡支局では、夜に通過する北斗星と出会えずじまい。現在は東京エンタメ取材チームに所属し、芸能人や町の話題を取材しています。
(共同通信)