『命と暮らしを守る沖縄の戦い』 抵抗の場面記録した写真集


社会
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『命と暮らしを守る沖縄の戦い―辺野古・高江・普天間』兼城淳子著 3000円+税

 レイアウトにこだわらず、ぎっしり詰め込まれている291ページ362枚の写真は、一枚一枚にその時の闘いの物語があって、切り捨てるわけにはいかなかったのだろう。本棚におさめてしまう写真集ではなく、汚れても、端が折れてもいいから、皆がページをめくりながら「あの時この時」を語り合い、未来琉球への闘いのエネルギーにすることを願っての「闘い記録アルバム」なのだと思った。

 2004年8月13日、米軍大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落・爆発炎上したことを私は友人からの電話で知り、恐怖と怒りと、そしてその恐怖の空の下にいない自分の存在を申し訳なく感じていた。同じ時、淳子さんは沖国大の門前に、民家の前に、路地に、フェンスの前に、炎上の煙と臭いの中にいた。墜落事件は淳子さんの暮らす宜野湾でおきた。抗(あらが)い闘う場面の写真集の中で、この20枚は米軍による事件の写真だ。淳子さんは日常生活から突然この異常な状況にワープさせられ、事件現場に駆けつけ、何が起きているのかを追いかけている。淳子さんの姿、動きを想像する。「ここから撮って、今度は反対側に回ったんだ。そして高いところに移動して…」。淳子さんの眼の位置でみる。米兵がこっちに向かってくる。落下した回転翼が足元に在る。すぐそばの米兵が歯をむき出し、こっちを向いて笑っている。全部米兵だ。沖縄の警察がおとなしく、米兵に許されたところで「捜査」している。真っ黒の校舎の壁と樹木、木々が焼けてえぐられている大学敷地。こういう写真を撮れてしまう日常の普天間。
 「青い海、青い空、癒やされる」琉球で365日、70年を生きてきたというのは、こういう日々なのだ、と写真が言う。癒やされている琉球人の顔はどこにもない。が、自信と確信に充(み)ちた、意思のある表情の人々。
 写真集が届いてから毎日、ページをめくっては「今年は琉球元年よ、琉球は大丈夫よ」の淳子さんの声を聞いている。オスプレイの爆音に脅かされることのない駒込で。
 (島袋マカト陽子・東京琉球館店主)
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 かねしろ・じゅんこ 1941年鹿児島県生まれ。琉球大卒業後、高校国語教師として35年間勤める。NPO法人奥間川流域保護基金理事として、奥間ダム建設中止運動に関わる。