那覇市の阿良さん「戦後処理すべきだ」 兄戦死、通告なく


この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社
「時間稼ぎの戦争で兄は亡くなった」と話す阿良光雄さん=9日、那覇市泉崎

 アジア太平洋戦争末期の1944年、家族9人でパラオ島で暮らしていた阿良光雄さん(77)=那覇市=は兄勇吉さんをペリリュー島の戦闘で亡くした。勇吉さんは当時14歳で、法的根拠がなく召集されたとみられ、戦死通告がない。

阿良さんは「天皇陛下が花を供えうれしいが、14歳で召集された兄は戦死通告もない。国は戦後処理をしっかりすべきだ」と訴える
 44年5月、空襲から逃れるため、パラオ島の洞窟への避難者らに引き揚げ準備命令が出た。同時に「14歳以上60歳までの男性は徴兵する」とも知らされた。該当者は父と長男孫吉さん=当時16歳、次男勇吉さん。3人は島に残り、母と13歳以下のきょうだい5人は船で沖縄へ戻ったが、途中で姉と末の弟は死亡した。
 パラオ島の部隊に所属した父と長男孫吉さんは生還したが、ペリリュー島に向かった次男勇吉さんは帰らなかった。両親は戦死したと考えたが戦死通告はない。阿良さんは部隊がほぼ全滅したことに加え、年齢が原因だと考る。当時、軍隊の召集は17歳以上が対象。14歳での召集は法律にのっとっていなかったものとみられる。「援軍を送れなかったから、軍は現地の男手をかき集めたのだろう」と推測。「戦争で亡くなった人を亡くなったと認めないのはおかしい」と憤る。
 両親は死亡届を出しておらず、勇吉さんは生存していることになっている。「兄は戦争に14歳で巻き込まれ、犠牲になった」。南洋諸島の全戦没者への国の補償を求めている。
(玉城江梨子)