『僕とおじさんの朝ごはん』桂望実著


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冒頭と終盤で激変する主人公
 読み始めの感触と、読み終わりの残り香が、こんなに違う小説ったらない。冒頭、主人公の「健一」はどうも厭世的に生きている。ケータリングの仕事をしているけれど、料理そのものには特に興味はなくて、とりあえず見栄えと予算さえ踏まえていればそれでよし。あー何だかなあもう、めんどくさいなあ。40代後半にして、それが口癖。心の中での。

 物語は、健一自身と、それから健一に接した人間たちの目線で紐解かれていく。健一がこう言うと、それを聞いて相手がどう思っていたかが次の項ですぐわかる。実にリズミカルに読み進めることができてしまう。なので、健一の変わり目をはっきりとうまく判別することができない。幾重ものグラデーションが彼を形作っていく、そのさまを見ることがこの本の魅力のひとつだ。
 最初のきっかけは、交通事故に居合わせたことだろう。周りの車や同乗者がてきぱきと手助けに走る中、何だかなあもう、とばかりに降り立った事故現場で、彼はひとりの女性を助ける。そして事故で片腕を失ったその女性の、事故後の生きざまに触れるのだ。彼女の依頼で、被害者や救出者によるパーティーの仕事を手がけることになった健一。いつになく熱心に、片手でも食べられるメニュー作りに精を出す。
 息子の「司」の存在も大きい。彼もまた、父親に似て「めんどくさい」日常を生きている。父母は離婚しており、司は母と暮らしている。何かとガミガミ言ってくる母と共に。しかし彼の「めんどくさいなあ」は、ただ「めんどくさい」のではなくて、僕がこう出れば大人たちはこう出てくるだろうしそこにさらにこう言ったらこういう事態になるに違いない、という先見の明からくる「めんどくさい」である。つまり「めんどくさい」を生きる人たちは、実は人一倍、他人に気を使っているのだ。
 そして、車いすの少年「英樹」との出会い。腰痛のリハビリセンターで出会った彼は、幼い頃からの病でやはりどこか冷めた目で世界を見ていて、やがて健一の「めんどくさい臭」を面白がり、健一が持っていたあんこと生クリームのサンドイッチをもりもり食べる。母親が驚くほどの食欲で。そして次第に健一は知っていくのだ。誰かが美味しいと言ってくれるものを作る、という血の通った実感を。終盤、タイトルにある「朝ごはん」のシーンは本当に秀逸。食べ物の描写も、それを食らう描写も。
 それらの人々とのやりとりによって、主人公は変わっていく。モノトーンだった世界がフルカラーになるように、読みながら浮かぶ世界は彩りを変える。そして、その彩りの中、ひとつの別れが待っている。人の生死に向き合った作品であるにもかかわらず、そこにはお仕着せの涙はない。読み終えて思うのはただ、自分の周りにいる人たちのことだ。あなたがいてくれるだけでうれしい。その想いの連鎖が、この世界を織り成しているのだろう。
 (中央公論新社 1600円+税)=小川志津子
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。
(共同通信)

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