「ベトナム村」内部写真発見 60年代、米軍北部訓練場


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北部海兵隊訓練場(当時)のゲリラ戦訓練施設「ベトナム村」。先端をとがらせた丸太を突き立て、外部からの攻撃に備えるベトナム現地の様子を模したとみられる様子が分かる=1964年ごろ、横堀洋一氏撮影

 米軍が1960年代、ベトナム戦争のゲリラ戦訓練などのために沖縄本島の米軍北部訓練場に設置した通称「ベトナム村」内部の写真が、13日までに見つかった。先端を鋭利にとがらせた無数の丸太を地面に突き立てた様子などが確認できる。

 外部からの攻撃に備えるベトナム現地の集落を模したものとみられる。ベトナム村では近くの東村高江の住民が戦闘訓練に動員させられており、米軍が山林に仕掛けたわなでけがをした住民の報告もある。70年前の沖縄戦以後も、戦争と密接に関連した米軍基地と隣り合わせで生活せざるを得ない沖縄の実態を物語る貴重な資料だ。

 写真は元共同通信記者の横堀洋一さん(81)が米軍の許可を得て訓練場内を取材した際に撮影し保管していた。撮影日は不明だが、当時の記録や横堀さんの知人らによると、64年ごろの撮影とみられる。

 60年代の報道や資料によると、米第3海兵師団は61年12月、ベトナムなど東南アジアのジャングルにおける戦闘を想定して「対ゲリラ訓練学校」を訓練場内に設置した。起伏の激しい山林での生存訓練や、「ベトコン」と呼ばれた南ベトナム解放民族戦線の模擬集落に対する攻撃訓練が行われた。

 当時の沖縄人民党の機関紙「人民」によると、64年8月に米統治の最高責任者であるワトソン高等弁務官がベトナム村で模擬ゲリラ戦を視察した。その際、乳幼児を連れた高江の住民約20人が動員され、現地民の役を演じさせられた。このほか訓練場周辺の住民が木材の切り出しに入った際に、米軍が仕掛けた落とし穴で重傷を負ったり、訓練中の兵士が演習地から外れて民家近くまで迫ったりしたことが度々あったという。

 北部訓練場は57年10月に北部海兵隊訓練場として使用が開始された。60年代には訓練場で枯れ葉剤が散布されていたと退役軍人が証言している。

 現在、訓練場の一部返還に伴うヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の工事が進み、高江の集落を取り囲むようにヘリパッドが新設されている。(安田衛)