「村上春樹を読む」タイガーの横顔が左右逆の世界へ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

犯罪者の対決・その1
 大長編『1Q84』(BOOK1、BOOK2、2009年。BOOK3、2010年)の最大の山場は、オウム真理教の教祖・麻原彰晃を思わせるような、カルト集団「さきがけ」の「リーダー」という男と、女殺し屋「青豆」がホテルオークラで対決して、殺害する場面でしょう。私も息をのんで読みました。何しろ、この青豆と「リーダー」の対決・殺害に関する部分の章だけを挙げても『1Q84』BOOK2の7章、9章、11章、13章、15章と、計5章にわたっています。量的にもこの小説の中心であることは明らかです。

 この2人の対決が、なぜこんなに読む者の胸の内に迫ってくるのかということを考えてみたいと思っています。
 「青豆」は「リーダー」を殺害して、その後、高円寺南口に潜みます。そして『1Q84』(BOOK3)の最後では、小学校以来、ずっと、心に愛を抱いたまま生きてきた「天吾」を見つけ出して、20年ぶりに再会を果たし、再び出会った「青豆」と「天吾」の2人が1Q84の世界から脱出して、1984年の世界に戻ってきます。
 最後は「青豆」と「天吾」が高速道路への非常階段を昇って、高速道路上でタクシーを拾い、2人が赤坂の高層ホテルの17階で結ばれる場面で、この大長編が終わっています。そして「青豆」のお腹には「天吾」の子どもがやどっているという物語です。
 この『1Q84』(BOOK3)が刊行された直後から、『1Q84』のBOOK4があるのか、ないのか、ということが議論の対象にもなりました。
 それは著者である村上春樹にしか分からないことなので、BOOK4があるかどうかということではなく、「青豆」と「天吾」が戻ってきた世界は果たして、どんな世界なのかということを考えることを通して、『1Q84』の世界とは、どういう世界なのか、「青豆」と「リーダー」が対決する場面のあの迫力はどこから生まれるのかということを少しだけ考えてみたいのです。
 さてまず「青豆」と「天吾」が戻ってきた世界ですが、果たして、これは『1Q84』の冒頭部で、青豆が生きていた1984年の世界なのでしょうか? 私の周囲にいる村上春樹ファンの何人かと、そのことをめぐって話したことがあるのですが、やはり1984年に戻ったのだろうという意見の人が多いようでした。
 でも私の考えでは、そんなに簡単に「青豆」は、1984年の世界に戻れる人間だろうかと思っています。
 青豆の経歴を彼女の回想などを通して考えてみましょう。『1Q84』の冒頭、青豆が高速道路を走るタクシーの中で、ヤナーチェック「シンフォニエッタ」を聴いている場面から、この大長編は始まっています。やがて高速道路は大渋滞となり、青豆は依頼された殺人の仕事の時間に間に合わなくなりそうになるので、高速道路上でタクシーから降り、非常階段を使って、下に降りていくのです。
 ここから1984年の世界ではなくなり、青豆は「1Q84」の世界に入っていったと考えていいでしょう。そして、物語の最後には「1Q84」の世界を脱出してくるわけですから、この「1Q84」の世界で行われた殺人に関しては、物語冒頭の殺人にしても、「リーダー」殺害にしても、世界が異なるということで、その罪を1984年の世界では問われなくてもいいと思います。
 でも、よく読むと、青豆は「1Q84」の世界へ入る前の1984年の世界でも殺人を行っています。例えば、親友だった「環」は夫のサディスティックな暴力に苦しんで自殺をしてしまいますが、そのDVの男を殺害しています。方法は、首の後ろのあるポイントを小さな細身のアイスピックのような特殊な器具で刺して殺害したのです。これは1984年の世界の犯罪です。その後、麻布の老婦人に依頼されて指定された男を殺害しています。その報酬として、私書箱に現金の束が入れられ、その束が2つ貸金庫の中にあると記されています。この札束の1つが高速道路上から非常階段を使って、下に降りて、「1Q84」の世界に入った後に、行われた殺人への報酬かどうかは分かりませんが、ともかく死んだ「環」のDV夫と、もう1人か2人ぐらいの男を1984年の世界で殺しているわけですから、「1Q84」の世界から戻ってきたとしても、1984年の世界では青豆は殺人容疑者です。
 ですから、その1984年の世界に戻ってきたのでは、「青豆」は犯罪者として追及されていく人物です。ですから、1984年では、天吾との愛の世界、また天吾との間に出来た子どもとの愛の生活を「青豆」は不安無く送れる存在ではないと思います。

 しかし、このようなことも記されています。「青豆」が1984年から「1Q84」に入り、出てくる高速道路上の非常階段への降り口付近にはエッソの看板の虎が給油ポンプを片手に持って、にっこり笑みを顔に浮かべているのです。このエッソの看板のことは『1Q84』のBOOK1の冒頭部と、BOOK2の最終盤、そしてBOOK3の物語の結末部に出てきます。
 そして『1Q84』のBOOK3の物語の結末部には、こんなことが書かれています。
 「そこで青豆ははっと気づく。何かが前とは違っていることに。何がどう違っているのか、しばらくわからない。彼女は目を細め、意識をひとつに集中する。それから思い当たる。看板の虎は左側の横顔をこちらに向けている。しかし彼女が記憶している虎は、たしかに右側の横顔を世界に向けていた。虎の姿は反転している。彼女の顔が自動的に歪む。心臓が動悸を乱す。彼女の体内で何かが逆流していくような感覚がある。でも本当にそう断言できるだろうか? 私の記憶はそこまで確かだろうか? 青豆には確信が持てない。ただそんな気がするというだけだ。記憶はときとして人を裏切る。
 青豆はその疑念を自分の心の中だけに留める。まだそれを口に出してはならない。彼女はいったん目を閉じて呼吸を整え、心臓の鼓動を元に戻し、雲が通り過ぎるのを待つ」
 そのように記されているのです。
 『1Q84』の世界の特徴は月が2つ出ている世界です。
 「青豆」と「天吾」が脱出してきて、今いる世界が『1Q84』でないことだけは確かです。そこには月は1つしか出ていないからです。「その月はエッソの看板の真上に位置を定めている」とあります。
 「私たちは1984年に戻ってきたのだ、青豆は自分にそう言い聞かせる。ここはもうあの1Q84ではない。もとあった1984年の世界なのだ」
 という「青豆」の考えが記されています。さらにこんなふうにも書かれています。
 「でも本当にそうだろうか。それほど簡単に世界は元に復するものだろうか? 旧来の世界に戻る通路はもうどこにもない、「リーダー」は死ぬ前にそう断言していたではないか。
 ひょっとしたらここはもうひとつの違う場所ではあるまいか。私たちはひとつの異なった世界からもうひとつ更に異なった、第三の世界に移動しただけではないのか。タイガーが右側ではなく左側の横顔をにこやかにこちらに向けている世界に。そしてそこでは新しい謎と新しいルールが、私たちを待ち受けているのではないのか?」
 やはり、これは「青豆」と「天吾」が抜け出てきた世界は「第三の世界」であって、元の1984年の世界ではないと考えるべきではないでしょうか。「青豆」は元の1Q84の世界でも、その前の1984年の世界でも、殺人者なのです。
 「私たちは論理が力を持たない危険な場所に足を踏み入れ、厳しい試練をくぐり抜けて互いを見つけ出し、そこを抜け出したのだ。辿り着いたところが旧来の世界であれ、更なる新しい世界であれ、何を怯えることがあるだろう。新たな試練がそこにあるのなら、もう一度乗り越えればいい。それだけのことだ。少なくとも私たちは孤独ではない」
 とも記されています。愛を得た「青豆」に殺人容疑者としての不安はなさそうです。1984年とは少しねじれた別な世界に「青豆」と「天吾」が出てきたことは間違いないのではないかと思っています。

 実は、このような「青豆」とカルト集団「さきがけ」の「リーダー」との対決のことについて、記したかったのですが、少し時間が不足していますので、続きは次回のコラム「村上春樹を読む」に記したいと思いますが、最後に2つほど書いておきたいことがあります。
 この『1Q84』という大長編は「青豆」と「天吾」を視点人物にBOOK1とBOOK2が展開していきます。例えばBOOK1の「第1章(青豆)見かけにだまされないように」、BOOK1の「第2章(天吾)ちょっと別のアイデア」という具合に、「青豆」の章と、「天吾」の章が交互に進んでいくのです。
 そしてBOOK3で「牛河」が視点人物に加わり、BOOK3は「牛河」「青豆」「天吾」の3者の視点で物語が進んでいきます。ただし「牛河」はBOOK3の「第25章(牛河)冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる」のところで、タマルによって、あっけなく殺されてしまいますが。
 そして、最後の最後はBOOK3「第31章(天吾)(青豆)サヤの中に収まる豆のように」というように「天吾」「青豆」の視点が重なったような章名になっています。
 でも読んでみますと、自分たちが出てきた世界は「1984年に戻ってきた」のかとか、「第三の世界に移動しただけではないのか」を考えているのは「青豆」だけですし、「辿り着いたところが旧来の世界であれ、更なる新しい世界であれ、何を怯えることがあるだろう。新たな試練がそこにあるのなら、もう一度乗り越えればいい」と決意しているのも「青豆」だけです。「天吾」「青豆」の視点が重なったような章なのに、「天吾」はあまり深く思考をしていない、あえていえば「青豆」に比べるとやや鈍い男のような感じすら受けてしまいます。この大長編『1Q84』の主人公は「青豆」と「天吾」ですが、あえて1人を選ぶとしたら、「青豆」が主人公の物語ですね。
 もうひとつ。「1984年に戻ってきた」のではなく、「第三の世界に移動した」のではないかということを「青豆」が考えるようになった「キー」として、給油ポンプを片手に持ってにっこりと笑みを顔に浮かべているエッソの看板の虎のことがしばしば出てきますが、このエッソの看板の虎とは何かについて、私なりの考えを記しておきたいと思います。
 おそらく、このエッソの看板の虎は「移動性」の象徴でしょう。
 『1Q84』BOOK1の「第3章(青豆)変更されたいくつかの事実」の中に「私は移動する。ゆえに私はある」という「青豆」の言葉があります。
 さらにBOOK3「第31章(天吾)(青豆)サヤの中に収まる豆のように」では「我々は移動する」と「天吾」が思い、「そう、私たちは移動する」と「青豆」が言う場面があります。
 「青豆」が「天吾」と赤坂のホテルの17階の部屋で結ばれた後、この本の最後に「タイガーをあなたの車に、とエッソの虎は言う。彼は左側の横顔をこちらに向けている。でもどちら側でもいい。その大きな微笑みは自然で温かく、そしてまっすぐ青豆に向けられている。今はその微笑みを信じよう。それが大事なことだ。彼女は同じように微笑む。とても自然に、優しく」と記されています。
 もし仮に「第三の世界に移動した」後の『1Q84』(BOOK4)があるとすると、その世界も「移動性」に満ちたものであるかもしれないですね。(共同通信編集委員・小山鉄郎)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小山鉄郎のプロフィル
 こやま・てつろう 1949年、群馬県生まれ。共同通信社編集委員兼論説委員。「風の歌 村上春樹の物語世界」を2008年春から共同通信配信で全国の新聞社に1年間連載。2010年に『村上春樹を読みつくす』(講談社現代新書)を刊行。現代文学を論じた『文学者追跡』(文藝春秋)もある。
 他に漢字学の第一人者・白川静氏の文字学をやさしく解説した『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』(共同通信社、文庫版は新潮文庫)、『白川静さんに学ぶ 漢字は怖い』(共同通信社)、『白川静さんと遊ぶ 漢字百熟語』(PHP新書)など。
(共同通信)

1Q84〈BOOK3〉10月‐12月〈後編〉 (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社 (2012-05-28)
売り上げランキング: 27,897
『1Q84 BOOK3〈10月-12月〉後編』(新潮文庫)
小山鉄郎