『東京近江寮食堂』渡辺淳子著 胃袋をつかまれる幸せ


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小川志津子

 出てくる食べ物がおいしそうな小説や映画を、そして登場人物たちがそれらを深く愛している小説や映画を、私は全面的に信用することにしている。……とここに書くのは2度目である。これもまた胃袋に響く作品であった。しかも、日本の、ごく普通の、でもきめ細やかな配慮が行き渡ったお献立。

こんがりと焼けた西京漬とか、熱々のおみそ汁とか、素朴な野菜を炊いたのとかが、読み手の胃袋をぐぐっとつかむ。
 そしてこの作品は、それを食べる人たちの描写も細やかなのである。主人公が作ったごはんを、どんどん食べる人たち。そのそれぞれに人生があって、いろんな分かれ道を踏み越えて、皆、この食卓についている。そのことの奇跡。主人公の妙子は、自分がこしらえた料理を食べる人たちの姿に触れて、生きる気力を取り戻していくのだ。
 妙子は、10年間行方をくらませている料理人の夫・秀一を探して、滋賀から東京へ単身乗り込む。けれどいきなり財布をなくして、そのどさくさで、安江という同年配の女性と出会う。安江は東京に出てきた滋賀県民のための安宿「近江寮」を営んでいるものの、それはそれは料理が下手くそで、料理上手の妙子はそのまま、助っ人として住み込みで働くことになる。
 妙子と安江は、秀一の手がかりをつかんでは追いかける。そんな日々の中で、妙子は秀一の心を幾度も思う。郷土料理をはやらせることにのみ躍起になっていた夫に、それじゃ立ち行かないんだからあきらめなさいよと、そうけしかけた自分を責める。秀一を孤独の淵まで追い詰めたのは、他ならぬ、自分ではなかったかと。
 絶望の淵に立たされた登場人物に、この物語ではおにぎりが供される。食べるとなぜか力が湧いてくるそのソウルフードの味わいを、私たちはとてもよく知っている。終盤、妙子の作ったごはんが、たくさんの人をつないできたことが知れる。この幸せを、愛する人に見せたいと願う妙子。そう、愛する人には、どんな文句や恨み節よりも、笑顔が一番まっすぐに刺さるはず。湯気を上げる真っ白なごはんは、どんなに回り道をしたって、必ず幸せにつながっているのだ。
 (光文社 1600円+税)=小川志津子
(共同通信)
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小川志津子のプロフィル
 おがわ・しづこ 1973年神奈川県出身。フリーライター。第2次ベビーブームのピーク年に生まれ、受験という受験が過酷に行き過ぎ、社会に出たとたんにバブルがはじけ、どんな波にも乗りきれないまま40代に突入。それでも幸せ探しはやめません。

東京近江寮食堂
東京近江寮食堂

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