北野武監督と火薬田ドンの関係は? ご本人に聞いてみた


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▼ビートたけしが演じるキャラクター「火薬田ドン」の存在は、映画監督・北野武に何かしらの影響を与えているのかどうか。北野監督に直接聞いてみた。
▼その前に、「火薬田ドン」とは誰か。
・誕生は2008年、フジテレビ系夏恒例の大型番組『FNS27時間テレビ』。
・27時間テレビの流れにお構いなく、どこかのロケ地から生中継で割り込む花火師。

・巨大な花火玉を、打ち上げ筒に運ぼうとするがコケる。
・転がりだした花火玉に激突されて水(プールなど)に落ちる。
・やがて花火玉は爆発し、煙の中から火薬田がすすだらけの姿に早変わりして現れる。
・好評を博し、同番組に毎年登場するようになった。出番は増加。
・明石家さんまがスタジオにいる場合、「火薬田、今度は大丈夫やろな!」などと、さんまは再三のお膳立てをさぼらない。火薬田は何も答えずに打ち上げにいそしむ。
・13年、火薬田の勇姿をまとめたDVD発売。初週、オリコン週間ランキング総合9位。
▼ビートたけしおよび北野武は、昔から自分の在り方を語る際、「振り子と同じで…」という言い回しを好んでしてきた。芸人と映画監督、その振れ幅が大きいほど、おかしみは増す。単に芸人がコケるよりも、世界のキタノになった男がコケた方が破壊力は大きい。
 1994年のバイク事故以降、ビートたけしはテレビの中で徐々にプレーヤーからオブザーバー的な位置へと軸足を移していった。映画は『TAKESHIS’』(2005年)、続く『監督・ばんざい!』(07年)は自己投影色が濃く、監督と作品の距離が接近し、やや息苦しい印象を受けた。上記2作の製作当時を振り返って監督は「要は更年期障害だったんだよね。精神的にも不安定で」と語る。
▼2008年公開の映画『アキレスと亀』には変化の兆しが見られ、同じ年、テレビでは火薬田が誕生。10年の『アウトレイジ』、12年の『アウトレイジ ビヨンド』では、監督が映画を自在に取り回しているように見えた。火薬田は体調回復とともに生まれ、振り子の芸人側の幅を再び広げ、ひいては映画にも作用したのではないか。
▼以下、北野監督の返答である。
 「27時間で、さんまちゃんと俺とで何かしゃべって、まともな話になっちゃうのも何だから、俺は独立したいってかね。勝手に自分の出番を考えて、自分のキャラクターをやりたいって言って、でも、鬼瓦権造じゃないのが何かねえかって考えて、『爆破だ』ってなって(笑)。「爆破だ」「花火師だ」ってなって、ドカンといけっていうね。で、あのキャラクターになったんだけど、あれで結局は(戻ろうと思えば)トークにも戻ってこられるし、こっち(勝手に爆破)にも逃げられるから、楽になったよね。映画も悩んでるころのつらさがあんだけど、やっぱりそんな時期だよね。テレビにちょっとイライラしてる時期と、(映画で悩んでいるのが)同じ時期があって、で、火薬田ドンなんかをやりだして、なんつんだろ、息吹き返したみたいなとこあって、やる気になったっていう。映画も『アウトレイジ』あたりからガンガンいくようになって、『アウトレイジ ビヨンド』あたりはもう完全にセリフの応酬になってきて、それは進化だと思ってて、で、コレ(新作『龍三と七人の子分たち』)につながってるから。またちょっと変わってきたかも分かんないね。これからの作品のほうが多分、面白いかも分かんないね、エンターテインメントとしては。で、しばらくたったら、ま、くたばっちゃうんだろうけど」
▼くたばらずに火薬田と映画監督の間を今後も、と向けると、「火薬田ドンはあれ、ケガするんだもん。何年か前、足の親指の爪、全部剥がれたからね(笑)、真っ黒になってさぁ。因果な商売だと思ってるよ」。顔は全然嫌そうではなかった。(敬称略)
 (宮崎晃の「瀕死に効くエンタメ」第74回=共同通信記者)
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宮崎晃のプロフィル
 みやざき・あきら 共同通信社記者。2008年、Mr.マリックの指導によりスプーン曲げに1回で成功。人生どんなに窮地に立たされても、エンタメとユーモアが救ってくれるはず。このシリーズは、気の小ささから、しょっちゅう瀕死の男が、エンタメ接種を受けては書くコラム。
(共同通信)

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宮崎晃