隔離政策 過ち伝える 沖縄愛楽園交流会館、1日から一般公開


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平和と人権を学ぶ地域交流拠点としての活用を期待する金城雅春自治会長(左)と辻央学芸員=29日、名護市済井出の沖縄愛楽園「交流会館」

 【名護】「私はおうちへ帰れなくなった」を重要テーマに据え、ハンセン病に関する誤った認識や強制隔離政策の歴史を後世に伝える資料館として整備した国立療養所沖縄愛楽園(名護市)の「交流会館」が1日から一般公開される。沖縄戦下での強制収容や戦後入所者自らの手で園を築き上げてきた様子など戦争による二重の差別や偏見の過去にも大きくスペースを割いた。市内の小中学校を中心に県外からも団体見学の予約が続いており、“人権資料館”の教育現場での活用も広がりそうだ。

 一般公開について金城雅春自治会長(61)は「一人一人が生きてきた証しだ。入所者の高齢化が進み、差別の歴史を語れる人がいなくなった時、この施設が語り部となってほしい」と望む。
 1階常設展示場には1938年の開園からの年表や沖縄戦での砲弾の痕が残る園内の壁を再現している。51~81年まであった澄井小中学校での子どもらの暮らしぶり、堕胎や断種で苦悩した証言などが展示されている。
 その中で課題となったのが「史実をどう伝えるのかだった」と語る会館学芸員の辻央(あきら)さん(36)。1945年、米軍が撮影した白黒フィルムに園内で亡くなった患者を解剖する場面があり、遺体から精巣を切り取ったり、内臓をバケツに投げ入れたりするシーンなどがあった。
 同様の場面の写真展示はあるものの、映像での開示については、辻さんもメンバーに入る企画運営委員会(委員長・大城貞俊琉大教授)で論議。「歴史の理解度によって受け取り方が大きく変わる」などの意見があり、常設ではなく、当面は閲覧希望の申請によって見せることにした。
 その一方で常設展の最後には「回復者のいま」として、地域の中で笑顔で暮らす人々をカラー写真で紹介。悲しい歴史を経て明るい未来を照らす様子を描いている。
 14日午後2時から開館第1弾企画として「ハンセン病歴史資料館をひらく~平和と共生のため」と題したシンポジウムを行う。
 交流会館の開館時間は午前10時~午後5時。毎週月曜と祝日は休館。入場無料。問い合わせは、同園自治会(電話)0980(52)8115。