二つの塔に不戦誓う 今も眠る遺骨700柱 読谷村喜名


社会
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戦後、間もなく散乱した遺骨を収集して建てられた梯梧の塔に手を合わせる参列者=30日、読谷村喜名

 【読谷】読谷村喜名の小高い丘に「梯梧の塔」と「さくらの塔」の二つの塔がある。沖縄戦直後、村東部に散乱していた遺骨約700柱を集めた「梯梧の塔」と喜名区出身戦没者約100人をまつる「さくらの塔」だ。今もこの地に遺骨が眠る。喜名自治会は30日、二つの塔を囲んで慰霊祭を行った。戦後70年の今、区内外からの参列者は「悲惨な戦争を繰り返してはいけない」と、平和を願った。

 松田安雄区長(57)は「梯梧の塔は、戦後集められた遺骨700柱が、県内でも珍しく現在も納められている」と話す。祖父・栄四郎さんが中心となって遺骨収集に携わった。「遺骨が今もなおここにあるのはそれだけの強い思いがあったからだろう」と話す。
 栄四郎さんらは、散乱する遺骨を見るに忍びず集め始め、1948年までに現在の嘉手納弾薬庫内にあった壕の周辺に集め、慰霊碑を建てた。近くにデイゴの木を植えたことから「梯梧の塔」と名付けたという。基地にフェンスが張られ現在の場所に移転した。
 喜名出身の宇根清子さん(67)は「小さいころは骨が見えていた。怖いと思った記憶がある。両親から戦争の話を聞き、戦争は本当に恐ろしいと感じるようになった」と振り返る。那覇市の宇江城敦子さん(42)は息子の昌吾君(6)と参列した。「祖父がこの近くで亡くなった。区の方が遺骨を集め、毎年慰霊祭を開いてくれるのは、ありがたい」と感謝して、じっと手を合わせた。