米統治に抵抗した政治家・瀬長亀次郎さんの資料などを展示する那覇市若狭の「不屈館」は、23日の「慰霊の日」に関連し、太平洋戦争前の新聞を展示している。
新聞は1940年8月25日付「沖縄朝日新聞」の「皇軍慰問号」。中国に出征した県出身兵士に送られたものとみられ、総動員体制の社会の雰囲気を伝えている。食糧増産、奉仕作業の写真や兵士へ宛てた子どもの文章のほか、戦地から帰還した新聞記者として瀬長さんの写真も掲載されている。新聞は7月30日まで展示予定。
「皇軍慰問号」は、不屈館の未整理資料から見つかった。タブロイド判12ページで、保存状態が良くほぼ完璧な状態で残っていた。
1931年の満州事変で日本は15年戦争に突入。37年には日中戦争が始まり、38年国家総動員法公布。40年には大政翼賛会が発足し、総動員体制ができあがっていた。この年の12月には軍部の新聞統制で「沖縄朝日新聞」「琉球新報」「沖縄日報」の3紙は「沖縄新報」に統合された。
瀬長さんは36~38年、沖縄朝日新聞で記者を務めた。軍隊に召集され38~40年、従軍記者として中国に出征した。
瀬長さんの妻フミさんは軍隊時代の瀬長さんについて「新聞社の当時の社長のご配慮で、現地から記事を送るという約束で家族への給与は支給されていましたが、軍の検閲は厳しく、実際にはほとんど書けなかったようです」と後述している。
安仁屋政昭・沖縄国際大名誉教授は「1940年の日本は米国から経済的圧力をかけられどん詰まりの状態で、対米戦争を準備している段階だ。報道機関は少しでも批判的だと紙が停止される時代。そんな中、新聞も兵士たちを鼓舞する報道をしていたことがよく分かる資料だ」と話した。
問い合わせは不屈館(電話)098(943)8374。